東京地方裁判所 昭和35年(行)41号 判決 1963年9月17日
判 決
熊本県阿蘇郡小国町黒渕五、六八六番地
原告
室原知幸
同所五、七一一番地
同
穴井隆雄
同所五、七一二番地
同
末松豊
同所同番地
同
末松アツ
右四名訴訟代理人弁護士
坂本泰良
同
庄司進一郎
同
野田宗典
東京都千代田区霞ケ関一丁目二番地
被告建設大臣
河野一郎
右指定代理人
青木義人
(ほか五人)
同
小林定人
主文
1 原告末松豊の訴を却下する。
2 原告室原知幸、同穴井隆雄、同末松アツの請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は原告等の負担とする。
事実
第一 原告等の申立及び主張
(主位的請求の趣旨)
1 被告が昭和三五年四月一九日建設省告示第八九三号をもつて別紙目録記載の各土地につきなした事業認定(同日附官報第九、九九七号告示)は無効であることを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
(予備的請求の趣旨)
1 被告が昭和三五年四一九日別紙目録記載の各土地につきなした事業認定を取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
(請求の原因)
一、原告室原知幸、同穴井隆雄、同末松アツはそれぞれ別紙目録記載のとおり各土地を所有しているところ、被告は昭和三五年四月一九日建設省告示第八九三号(同日附官報告示第九、九九七号)をもつて右各土地を含む左記土地につき土地収用法(以下単に法と呼ぶ)第二〇条に基く事業の認定処分をした。(以下、本件事業認定と呼ぶ)
記
起業者の名称 建設大臣
事業の種類 筑後川総合開発に伴う松原、下筌両ダム建設事業及びこれに伴う附帯事業
起 業 地 熊本県阿蘇郡小国町大字下城及び大字黒渕地内
大分県日田郡大山村大字西大山地内
同県同郡栄村大字出口地内
同県同郡中津江村大字栃野地内
同県同郡上津江村大字川原地内
二、熊本県知事は右起業者からの法第三一条に定めた土地細目の公告の申請に基き、昭和三五年五月二日同県告示第三一六号(同日附同県公報号外第三六号公告)をもつて下筌ダム建設のため別紙目録記載の各土地を収用の対象として公告した。
三、しかしながら本件事業認定処分には以下に述べるような瑕疵があり、この瑕疵は重大且つ明白であるからその事業の認定は無効であり、仮に当然無効ではないとしても取り消しは免れないものである。
(一) 法第一九条違反(事業計画書の不備)
1 起業者の施工しようとする本件事業は、松原、下筌の二地点に高堰堤ダムを建設し筑後川の高水流量を調節しようとする治水計画及び各ダムの貯留水を利用して発電事業を営ませようとする利水計画を兼ねたもので、起業者の提出した事業計画書によれば松原ダムはダム水路式発電により最大出力二六、〇六〇キロワット、下筌ダムはダム式発電により同一三、九六〇キロワットを得ようとするもので、特に渇水期には多大の発電増が期待されている。
このように河川法第八条第一項の規定により建設大臣が自ら新築しようとするダムであつて、しかもこれにより貯留された流水を発電の用に供しようとするものは特定多目的ダム法(昭和三二年法律第三五号。以下単にダム法と呼ぶ。)にいう多目的ダムにほかならない。(ダム法第二条。以下単に多目的ダムと呼ぶ。)
2 建設大臣は多目的ダムを新築するときはあらかじめ建設に関する基本計画を作成し、公示すべき義務を負うものである。(ダム法第四条)ところが、本件事業は明に多目的ダムの建設を目的とするものである(本件事業計画書中にも「特定多目的ダム建設工事特別会計」を財源としていることが明記されている)にもかかわらず、起業者たる建設大臣はダム法第四条の要求する基本計画を作成しないでいるため、発電をも兼ねる多目的ダムでありながら「貯留量の配分」、「ダム使用権の設定予定者」、「建設に要する費用の負担」といつた重要な事項について何等の決定も見ないまま事業の認定をし、着工するといつた事態を生ぜしめている。
3 本件事業は多目的ダムの建設にあるから、ダム法の基本計画が決定していない以上多目的ダム建設の事業計画が「計画」として完備する道理がなく、起業者が事業認定申請書に添附した事業計画にも勿論前記の事項について何等説明がない。
多目的ダムの建設にとつて「貯留量の配分」、「ダム使用権の設定予定者」、「建設費の負担」等の諸事項は最も基本的な事柄であるから、この点に関する資料が添附されていない事業計画書は、内容のないものであり、それはいわば「事業計画構想書の一部」とでも言うほかない。
完備した事業計画書の必要な所以は、これまでに建設省が施工した多目的ダムで基本計画の決定に必要な事項(地質、水理等)の調査を着工前に充分尽しておかなかつたため着工後に計画を変更しダムサイトを移転せざるを得なくなくなり、行政監察の結果税金の無駄ずかいとして指摘された実例があることからも容易に理解できるところ、起業者は本件事業においても再び斯る危険を敢えて冒そうとするものである。(後に採り上げるように起業者は、松原、下筌のダムサイト地点について通常なら作成する筈の五百分の一の地質図も作成せず岩盤の弾性波試験もしていないのに本件事業を強行しようとしている。)
4 事業の認定に関する処分を行う被告としては、右に述べたように添附書類たる事業計画書に不備がある以上は、法第一九条の規定に従い事業認定の申請を却下すべきであつたのに、斯る不備を看過し、事業の認定処分をしたことは違法であり、その瑕疵は重大且つ明白であるから右認定処分は無効と解すべく、仮に無効ではないとしても取消は免れないものである。
(二) 法第二〇条第三号、第四号違反
1 事業認定の要件は法第二〇条第一号ないし第四号の規定するところであるが、原告等も本件事業が同条第一号の要件を充足するものであることは敢えて争わない。しかし本件事業はその余の各要件すなわち第二号ないし第四号に規定する要件を欠いており事業の認定を受け得ないものであるのに、被告はこの点について判断を誤り事業の認定をしたもので斯る違法は、重大且つ明白であるから認定処分を無効ならしめるか或は少くとも取消の原因となるものである。そこで先ず第三、四号違反の点を明らかにする。
2 起業者の事業計画書によれば、本件事業計画は既往最大洪水と見られる昭和二八年六月二六日の筑後川の洪水(以下、二八年洪水と呼ぶ)の流量を大分県日田市長谷の地点において八、五〇〇立方米/秒と認定し、これを計画高水流量と定め、このうち六、〇〇〇立方米/秒までは中下流の河道改修によつて疎通流下させ、残る二、五〇〇立方米/秒は上流の大山川筋の松原、下筌にダムを建設し流水を貯留することによつて調節しようとするもので、これによる災害軽減額のうち、本件両ダムによる防災額は年平均二八億円に上ると説明されている。
しかしながら以下個別に指摘するように、右の立論の基礎となつている計画高水流量の算定、防災額の算出、ダムの有効貯水容量と堆砂、地質とダム建設の可能性等の諸点において起業者の事業計画は幾多の誤りをおかしているからとうていその主張するような効果を挙げることは期待できないものであり、右事業が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するとか公益上必要であり、有益であるとは認められない。
(イ) 先ず筑後川の治水基本計画を立てるにあたつて計画高水流量を八、五〇〇立方米/秒としたこと換言すれば長谷地点における二八年洪水の解析の結果が起業者のいうような数値になるかどうか極めて疑わしい。
すなわち建設省九州地方建設局の昭和三一年一〇月一五日付計画書までは計画高水流量を九、〇〇〇立方米/秒として筑後川総合開発事業計画を立てており、また二八年洪水に通する夜明ダム調査委員会の「水害に関する夜明ダム調査結果報告書」も最大洪水流量を九、〇〇〇立方米/秒ないし一〇、〇〇〇立方米/秒と推定しているのに、昭和三二年三月になつてにわかに計画高水流量を八、五〇〇立方米/秒に引き下げたもので、これはマンニング流速公式により流量計算をするに際して従来使用していた粗度係数〇・〇四を〇・〇四五に変更したからであるが、この変更には合理的な根拠がない。
また長谷地点における流量を計算するのにマンニング流速公式を使用すること自体に疑問があり、資源局資料一三号の高橋論文によれば、長谷のような狭窄部の地形の所では、右公式は妥当しない惧れがある。
さらに言えば起業者は時間雨量を計算するに際して五時間連続雨量の平均値を使用しているけれども、これは不当に流量数値を低下させるもので合理的な根拠はない。この場合には四時間連続雨量の平均値を用いるべきものである。
このように起業者のいう計画高水流量は人為的に低減された数値であるから、もし二八年洪水と同規模の出水があればたとえ本件事業計画どおりのダムが完成していたとしても水害を防止できないことは明らかであり、事業計画書にうたつているような治水効果を挙げ得る道理がない。
(ロ) 本件事業による災害防除額が年平均二八億円に達することはあり得ない。
被告は本件両ダムによる災害防除額を計算すれば年平均二八億円(昭和三〇年物価に換算)になると主張するが、その根担は別紙のとおり、昭和二〇年から昭和三〇年までの災害額(水害)の一覧表である。
このうち二八年洪水は被告の計算によると百年一回程度の確率をもつて起るというのであるから、偶々このような稀有の大洪水があつた年を含む一一年間の災害統計から治水効果を算定したことは見せかけの効果を大きくするのみで、合理的なものではない。すなわち長谷地点における流量が六、〇〇〇立方米/秒までの洪水ならば、現に計画中の河道改修でまかなえるわけであるから、本件ダムが効果を発揮するのは、六、〇〇〇立方米/秒を超える洪水の場合に限られるわけであり、仮に別表の災害額一覧表によつて考えれば、本件ダムが防災効果を発揮するのは、まさに二八年洪水一回のみであり、同洪水は百年に一度の確率であるから、年平均災害額も百分の一の数値をとるのが妥当である。とすると、本件ダムによる防災効果は二八億円ではなく実は、二億八千万円にすぎないことになりとうてい被告や起業者のいうような巨額に上ることはあり得ない。
(ハ) のみならず、別紙災害額一覧表から明らかなとおり、筑後川における災害と長谷地点における流量との相関度は極めて低く、このことは、長谷地点における洪水流量を低減することに努力しただけでは災害防除の目的は達せられないことを示すものである。
筑後川は古く大正一二年に改修地点における計画高水量を五、〇〇〇立方/米秒として改修工事が始められたにもかかわらず、各所で通称「切れ所」といわれているように破堤箇所はほぼ一定しており、破堤の原因は、他の構築物たとえば余水吐、水路、橋梁、堰、道路等にある場合が多いのにその対策は極めて不充分である。また、筑後川下流の有明海に接する地帯は有名なクリーク地帯であつて、灌漑期にはクリークは排水機能を失い、筑後川の高水とは無関係に降雨による水害を惹起しており、そのほか河口一帯の低地は高潮による被害も少からぬものがあるのに、これについても満足な対策はない。
また筑後川の中流部に注ぎ込む幾多の支川の流量はすべて久留米狭窄部に集中し、特に中下流および支川流域の雨量が多いときは、これら支川の流量を操作することが中下流部災害の防除に極めて重要であるにもかかわらず、これらは国の直轄河川でないため改修は不備を極め、著しく放任されており、本件治水計画においても、支川合流量を不当に低く評価し、問題を糊塗している。
このほか二八年洪水で水害を著しく助長させた原因である流木など諸々の原因が重り合つて筑後川に災害を招いているのであつて、長谷地点における流量と災害額との相関度が極めて低く、むしろ無関係とも言えるのに、起業者は本件ダムの治水効果を誇張して、公益に沿う、合理的な事業であるかのように見せかけているに過ぎない。
(ニ) 一方本件ダム建設による水没地域は、日田杉または小国杉として有名な杉の産地で、日本三大林産地の一に数えられている。
一般に土地の適正且つ合理的な利用については遠く将来における土地の利用状況をも考慮して判断しなければならないところ、杉の生育環境は人為的に造成困難なものであり、代替地は殆んどあり得ない実情であるのに、仮に本件事業計画どおりダムを建設するときは、斯る土地の効用は永久に失われて了う。
しかも、起業者の事業計画によれば、長谷地点における流量を二、五〇〇立方米/秒カットするためといいながら、二箇のダムをいずれも大山川筋に建設しようとしているが、筑後川は、その規模においてほぼ等しい大山川と玖珠川の二つの河川が合流したものであるから、もし洪水調節ダムを建設するとなれば雨量分布の点からみても当然、各川筋に一箇所ずつ、ダムサイトを選定するのが常識であり、もし、玖珠川流域に集中豪雨があつた場合には、本件事業計画をもつてしては、長谷地点における流量カットの目的は全然達成できないわけである。
現に台風の経路によつては大山川に少く玖珠川に大量の降雨を見ることもある。のみならず洪水波は下流に行くに従い逓減する性質があるから、洪水調節ダムはできるだけ下流に建設した方が得策であり、本件のように同一川筋の山間部にしかも相接して二箇のダムを建設するような計画はとうてい土地の適正且つ合理的な利用に貢献するものとは認められない。
(ホ) 堆砂 筑後川の上流である大山川、玖珠川の水源地帯は阿蘇火山系の火山岩地帯であり、非常に崩壊し易い地質条件にある。このことは本件ダムの堆砂率が大きいことを予測させるものである。(そうでなくとも堆砂のため日本のダムの寿命は三〇年位と言われている。)しかも両ダムとも一〇〇年に一回という大洪水に備えるものである以上、一〇〇年間の堆砂によつても、計画した有効貯水容量が保持されることの保証がなければ、長谷地点における流量を二、五〇〇立方米/秒カットするという目的は果されない。したがつて本件ダム建設の事業が計画どおりの洪水調節効果を挙げ得るかどうかを判断するには、各ダムの堆砂率及びこれを裏付けるためのダム上流域の砂防計画まで明にされなければならないのに、本件事業認定の申請においては、この点の資料が不十分であり、砂防計画とその実施予定に至つては、全く説明がないから、治水効果は判断のしようがないにもかかわらずこれを認めて事業の認定をしたことは明に違法である。
(ヘ) 仮に本件ダムにより大山川の流量は起業者ならびに被告が主張するように調節ができるとしても、先にも述べたようにダム下流域の洪水は玖珠川流域その他筑後川中流部の支川流域の豪雨に起因することも考えられるから、本件事業計画にうたつているような「流域の住民に与える(治水)効果は極めて大きく、毎年忘れずにやつてくる洪水による被害を防除し生活の安定を図り……」という程の治水効果は期待できず、かえつて、工事費のしわよせが河道改修工事等のより緊急を要する工事の実施を妨げることは明らかであり、本件ダムの治水効果を誇張することがこの傾向を助長し、かつまた流域住民の洪水に対する警戒心を弛め、不測の災害を招く恐れもあり、またダムの放流調節のための管理、操作の誤りからダム下流に人工水害を惹き起した例も数多くあり、一種の公害を招く危険がある。のみならず、松原ダムの湛水区域の末端は有名な杖立温泉街に接するところ前述の堆砂は当然、この末端部分から上流に向つても進行するからやがては温泉街を貫通する杖立川の河床が堆砂のため隆起し、温泉街に氾濫の危険を生じることは当然予想されるところであり、これまた本件ダムに因る公害の一に数えられる。そうすると、仮に本件ダムにより若干の治水効果は期待できるとしても、ダムによる公害は遙に大きく、両者を比較するときは、本件事業計画は公益上の必要がないというより、むしろ有害というべきである。
(ト) 地質上の欠陥
起業者である建設省(具体的には同省九州地方建設局)は本件事業計画の確定までに、筑後川水系に一一ケ所の候補地点すなわち、大山川筋に簗瀬、二俣、下筌、松原、久世畑、玖珠川筋に地蔵原、千町無田、猪牟田、鋳物師釣、竜門、下榎釣を選定し、所期の治水効果をあげるに必要なダムサイトの地形および地質について概略調査した結果、久世畑および松原、下筌以外は、集水面積もしくは貯水容量が小さいか或は地質上の欠陥があるので除外し残された三地点について更に検討した結果、久世畑は一ケ所で必要な貯水容量を得られる点では有利であるがダムの堤軸を横切り流心方向に走る推定断層およびこれに伴う破砕帯が存在することが地質上の難点とみられ、放棄し、残つた松原、下筌の組み合わせに落着いたという。
しかしながら、起業者(建設省)は、すでに六年間にわたり一千数百万円の費用をかけて久世畑地点を調査しており、そのいう推定断層などは、この調査によつてもなお純地質学的に判明しないというようなあいまいなものとは考えられず、かえつて同地点には純地質学的にいつて破砕帯は存在しないことは明らかであるから、これを放棄すべき地質上の理由は何もなく、地質上のその他の難点は、下筌、松原にも共通するものであり、特に後二者が地質上ダムサイトとして秀れているとする理由はない。
むしろ松原ダムサイトは構成岩石が複雑であり、各岩石自体も亦不均質かつ複雑を極めており、起業者が事前に(本件事業認定までに)現実に行つた程度の調査では、斯る地質に対処すべき具体策を樹てることはできず、僅に他所に比較して、良好であるとは云えるにしても、すでに左岸側の輝石安山岩(松原熔岩)のかなり深部に漏水の甚しい箇所があることが判明しており、このかなり脆弱でしかも透水性のある松原熔岩はダムサイトの上、下流に広く分布しているから、湛水後の漏水という由々しい問題が起ることをも暗示するものである。
また下筌ダムサイトは、昭和二三年の田中治雄氏の調査と昭和二九年三月の山口勝氏の調査との間には重要な点でかなりの相違があり、現にダム地点に湯泉変質作用を受けた地層のあることが明らかになつてきたのに、起業者は、実施設計をしていないのは勿論、その基礎となるべき五〇〇分の一地質図をも作成しておらず、事業認定の申請当時は地質に関する弾性波試験さえしていなかつた。
このように、松原、下筌地点の地質は久世畑と比較して劣つてこそおれ、優れているとは云えないのに、起業者は、久世畑の場合に示したような綿密な地質調査をもせず、特に下筌ダムサイトの右岸については実地踏査もせず、したがつて基本計画は勿論、実施設計すらなし得ない状態であつたのに、原告等水没地の居住者のダム建設反対の運動に抗しきれなくなるや、準備のための調査を放擲しにわかに本件事業認定の申請に及んだものであり、これらの地質上の欠陥及びその調査の不備は、今後どのようにダム建設の過程で影響を生じてくるか測り知れないものがある。
したがつて、起業者の本件事業計画をもつてしては、とうてい土地の適正かつ合理的な利用に寄与する事業であるかどうかを判断することはできず、現に調査不完全なまま基本計画を樹てもしないで事業に着手した結果、建設の途中でダムサイトを変更しなければならなくなり、国費の濫用として行政監察の対象となつた例もあることに鑑みれば、本件事業計画の段階では、その認定の申請には未だ公益上の必要性すら認められない。
3 発電効果と公益性
抽象的に考えるかぎり、発電事業が公益事業の一つであることは原告等もこれを認めるに吝かでないが、治水と同時に発電をも目的とする多目的ダムを建設する場合には、予めダム法の命ずるところに従い基本計画を作成し公示するに先立ち、関係都道府県知事等の意見(これには当該都道府県議会の議決を要する)を聞き、関係地方の住民の意見が充分反映するようにしなければならない筈である。(ダム法第四条第二項)けだし、洪水調節のためには平常はダムを空にして置き、洪水の時にできるだけ多く貯留できることが望ましく、このため穴明きダムすら考えられるところ、発電のためには常時できるだけ多く流水を貯留することが理想的であり、治水目的と発電目的との背反は、治水と利水を兼ねる多目的ダムの宿命とも云うべく、そのため、ダム使用権の設定については、充分に関係地方の住民の意志を反映させる必要があるからである。
もつとも多目的ダムの建設に際しては、常に治水を主目的とし、治水に支障を来さない範囲で貯留水を発電等の目的に利用させると説明されるけれども、一旦ダムが完成した暁には、主客転倒し、発電等の利水目的が主となるのが実情であり、そのため現に、洪水時のダムの管理、操作に障害を来し、急激かつ多量な放流のためダム下流域に人工水害を生じた実例は少くない。本件松原、下筌地点も地質的には下流の久世畑に優るところはなく、治水効果からいえばむしろ下流にダムを設置すべきであるが、発電効果とくに下流増による各発電所の発電増を考えるならば、筑後川水系中第一の適地である。それ故本件事業計画にもあるように、本件ダムは「火力より安価な水力電気の開発」のため「特に渇水期には多大の発電増を期待」され、「そのほか下流の九電(九州電力株式会社)所有の発電所に対して渇水期において自然流量と比較して流量増加により発生電力量の増大が期待される」わけであり、治水効果は、この発電目的に附け足したものにすぎないことは、これまで挙げたところから推して明らかである。
このように発電事業に多大のウエイトがおかれている本件において、ダム使用権設定予定者(すなわち電気事業者)の建設費の負担の程度(ダム法第七条)および受益者(下流増により電気事業者の受ける利益)の負担金の額を幾何とすべきかを公示する基本計画すら立てられていないのに、営利会社にほかならない電気事業者のため「安価な電力」を作り出すことをもつて直ちに公益上必要であると結論することは不可能である。現に、電気事業者となつて発電専用ダムを建設する場合の補償の単価は国(建設省)が建設する多目的ダムの場合の補償単価よりも高額であるというから、電気事業者は常に多目的ダムの建設を促しておれば安価に発電事業を営むことができるわけであり、まして、多目的ダムの建設費の負担額が低簾に算定されれば、電気事業者はこの面でも巨利を博することができるから、そうなると電気事業者の受ける利益は莫大なものになる。それゆえ建設費の負担いわゆるアロケーションに関する事項が明にされないかぎり発電目的を兼併するからといつてこれが直ちに公益上必要なものと認定することはできない。
(三) 起業者には本件事業を遂行する充分な能力がないこと
本件事業は火山岩地帯は高堰堤ダムを建設しようとするものであつて、その地質は極めて劣悪であり、万一ダムが決潰した場合の危険は測り知れないものがある。しかるに起業者たる建設省は戦後設置されたもので斯る悪条件下における高堰堤ダム建設の経験に乏しく、そのうえ、公務員の給与の制約から有能な技術者を確保できず、急速な進歩を見せる東西の技術を充分に吸収することもできない実情で、本件事業に関する技術的能力を欠いている。また、治水計画は勿論、建設後の多目的ダムの管理、操作には降雨等の気象現象の把握、解明は不可欠なものであるのに、起業者には必要な観測網も整備されておらず、その解明能力にも乏しい。さらにダムサイトの地質調査に関する能力は勿論起業者(建設省)の組織、機構上からみても、河川は元来支川、派川と一体をなすものとして把握すべきところ、建設省は幹川を管理し、筑後川水系の治水上重要な中流域の支川は管理者を異にし、また上流山間部の治山、砂防も管理者を異にし、建設省内の河川行政と砂防行政とも緊密な連携を欠く実情であり、しかも河川をめぐる灌漑は農林省、発電と工業用水は通産省、上水道は厚生省というように筑後川水系におけるダム建設についても、行政組織上から建設省はその総合開発の能力を制肘されている。
このように、起業者は、少くも本件事業計画に関する限り、所期の効果をあげるダムを建設できるだけの能力を欠くものというべく、これを誤認した事業認定は違法である。
(四) 本件事業認定は土地収用法第二二条、第二三条の事前手続を欠くこと
本件の事業の認定をしたのが被告である建設大臣であれば、その申請をした起業者も亦建設大臣であり、このような二重の資格を兼併することは事業認定という制度からみて好ましくないところである。
それ故、被告は本件事業の認定に関する処分を行うについては、先ず土地収用法第二二条に定める専門的学識又は経験を有する者の意見を求める必要がある。けだし、同条の手続は「必要があるとき」に行われることになつているが、前述の二重資格の兼併のまま事業認定をしようとするときは、まさにこの「必要があるとき」に該当すべく、まして本件のような劣悪な地質上に高堰堤ダムを建設することは技術的にも多大の困難を伴うものであり、建設後の管理操作についても高度の専門的知識を要求されるところ、建設大臣には斯る専門的な知識経験は期待し得べくもないからである。
また多目的ダムの開発は、下流域に対する人工水害の危険、上流域に対する堆砂による河床上昇の危険、さらに周辺の上水道、工業用水の配分など関係者間の利害の衝突は勿論のこと、何よりも水没地域の住民の生活権の問題であるから、自ら申請し自ら認定する本件事業のごときは、土地収用法第二三条に規定する公聴会を開く必要がある場合に該当し、建設大臣は必ず公聴会を開いて一般の意見を求めなければならない義務がある。
しかるに本件事業の認定をするにあたつて被告がこれらの事前手続をとらなかつたことは違法である。
四 以上各項において指摘したとおり本件事業認定処分には重大かつ明白な瑕疵があるから無効であり、仮に当然には無効でないとしてもその違法性の故に取り消されるべき筋合のものである。
よつて本件事業認定につきその起業地内に土地を所有し、かつ右土地細目の公告を受けた原告等は第一次的には本件事業認定の無効確認を、第二次的には事業認定の取消を求めるものである。
(被告の主張に対する反論)
一、被告は「本件ダムは多目的ダムではあるが現在は河川法による直轄工事であつて特定多目的ダム法による工事ではなく、将来、基本計画ができた時にダム法によるダム工事になる。」として「本件の事業認定処分は土地収用法第三条第二号に係る施設として認定したものであつて、ダム法第四条に定める基本計画が作成されているか否かは土地収用手続とは関係のないことである。」と主張するけれども、ダム法第四条は明に多目的ダムを新築しようとするときはあらかじめ基本計画を作成し公示しなければならないと規定しており、ダム建設事業に着手後において基本計画の作成を認める何等の例外規定をも設けていない。のみならず現に本件事業認定申請書添附の事業計画書には特に財源として「特定多目的ダム建設特別会計」と明記されてあるから(その後治水特別会計に引継がれた)、もし被告の解するとおり現段階においては未だダム法による工事でなく河川法による工事であるならば起業者自ら会計法違反の事実を認めたものである。
およそ行政行為にして予算措置を伴うものは議決された予算に基く必要があることは云うまでもないところダム建設工事が河川法による「河川に関する工事」であれば河川法第三〇条に従い「受益者負担金」として電気事業者に一定の負担金を納付せしめて歳入に計上し、またダム法による工事であれば、ダム法第七条一項にいう使用権設定者の建設費負担金として同施行令第八条、第九条等に従い治水特別会計ダム勘定(特定多目的ダム建設工事勘定)の歳入に計上されるべきものであつて、一のダムが何等計画の変更がないのに中途まで河川法による工事であり後半がダム法による工事であるというようなことは起業者が恣意的になし得べきことがらでない。
二、本件事業認定は形式上は兎も角、実質的には土地収用法第二章に規定する事業の準備のみを目的とし事業の技術的可能性を知るための試掘試錐をなすために行われたものであることは次の事情からも明らかである。
すなわち起業者たる建設大臣はダム法による基本計画の作成をまたず、しかも昭和三五年二月四日付でダム使用権設定許可申請書を提出した九州電力も当時松原、下筌につき実地調査をしておらず従つて右申請書に添附を要求されている必要書類図面等を欠いたまま申請書と題する一片の書面を提出したにすぎないのに建設大臣は今度は所管行政庁として基本計画作成の目途も立たないまま同年四月一九日多目的ダム建設事業として本件事業認定処分を行つたものであること、その後なされた土地細目公告の申請及び収用裁決の申請の対象となつた土地の範囲は起業者がかつて土地収用法第一四条の規定により試掘等を行おうとした土地に限られていること、右土地以外の起業地は全くといつてよいほどその取得手続が進められていないこと(本来なら用地取得は短期間になされる方が起業者にとつて有利なことは云うまでもない)を合わせ考えれば本件事業の認定が実は事業の技術的可能性を知るための資料を得る目的でのみなされたものであることは明らかであり、たとえ形式上は合法であつても権利の濫用であつて私有財産権の保障との調和からもとうてい許されない措置である。(なお昭和三八年四月二〇日以降は本件起業地内でも前述の土地細目公告のあつた土地以外の土地についてはもはや収用手続を進めることはできずこの関係では本件事業認定は何等の効力を有しなくなつたものであるがこの事実はまさに前述の推論を裏付けるものであつて、要するに起業者の準備及び法的手続が不備であることを示唆している。)
三、これを要するに、松原、下筌地点と久世畑地点との間には地質的には優劣をつけ難く、むしろ温泉変質の点で松原、下筌の方により難点があるうえ、治水効果の点では洪水波逓減及び雨量分布の面からみてより下流に位置する久世畑地点が優つているにもかかわらず政治的な反対運動に遭い久世畑地点を放棄したものであつて水没補償額の多寡といつた客観的理由に基くものでない。
このような候補地点決定における不正、不法は事業認定申請者とその認定をなした行政庁とが実際には同一人であり申請と認定との間には第三者による審査手続といつたような制度もないのであるから、自ら申請し自ら認定したに等しく申請者に存在する瑕疵はそのまま認定した行政庁が承継し(換言すれば事業認定処分の瑕疵として)事業認定の効力に影響を及ぼすものである。
第二、被告の申立及び主張
(本案前の申立)
1、本件訴をいずれも却下する。
2、訴訟費用は原告等の負担とする。
(請求の趣旨に対する答弁)
1、原告等の請求をいずれも棄却する。
2、訴訟費用は原告等の負担とする。
(本案前申立の理由)
原告らは事業認定によつてその具体的な法律上の地位に何等の影響をも受けず、従つて訴の利益を有しないものである。
そもそも事業認定なる行政行為は、起業が私有財産の収用を許すに足る公益上の価値があるか否かを認定することをもつて、その本質的内容とするものであつて、事業認定により起業者は、爾後土地収用法に定める手続(土地細目の公告、通知および、協議、収用裁決)を履践して権利を取得しうるという権能を附与せられるものではあるが、それは恰も主務官庁の許可によつて附与された公益法人(民法第三四条)の地位にも相似て、収用手続上の権利義務の主体となりうるという地位ないしは資格に過ぎないものである。目的の土地等に対する収用の効果は、収用委員会の裁決に定められた収用の時期までに補償金の払渡、供託等が行われることを条件として裁決によつて発生し(土地収用法第四八条一項、第一〇〇条、第一〇一条)、形質変更禁止の効果は土地細目の公告同法第三四条一項なお同法第八九条一項、第一四二条)がなされて、はじめて発生するものであつて、事業認定の段階では、いまだ起業者は何らの具体的な権利の設定をうけるものではなく、他方該土地の所有者等は、当該物件について有する権利について何らの制約も加えられるものではない。
従つて原告らの本訴請求は訴の利益を欠く不適法なものである。
(請求原因に対する答弁)
一、原告等の土地所有関係、原告等主張のような事業の認定があり土地細目の公告があつたこと(請求原因一、二の事実)は認めるが、本件事業認定に重大且つ明白な瑕疵があつたとの主張及び右事業の認定が違法であるとの主張はすべて争う。
二、(一) 事業計画書の内容の適法性(基本計画の欠如について)
原告は、本件事業が河川法、特定多目的ダム法第四条に基づいて施行されるものでありながら、ダム法第四条に規定する基本計画がいまだ作成されていないから、従つて、本件事業計画は確定されたものとなつていないのに、被告が確定された事業計画として事業の認定をしたのは違法であると主張する。
被告も本件事業が特定多目的ダム法に規定する多目的ダムを建設するものであり、これにつき基本計画が未だ作成されていないことは認めるけれども、土地収用法第二〇条第三号にいう「事業計画」とは、同法第一八条に規定する事業認定申請書に添付すべき事業計画書の内容をいうものであつて、土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものであるか否かの判断をなしうるに足る客観的な妥当性を有するものであれば足り、具体的記載内容については同法施行規則第三条第一号に規定するところである。
しかも本件の事業認定処分は、同法第三条第二号に係る施設に関する工事として認定したものであるので、土地収用手続上ダム法第四条に定める基本計画が作成されているか否かは関係のないことである。
なお、原告は、事業の認定後事業計画が変更されれば、事業の認定の違法を来すが如く主張されるが、事業認定後の事業計画の変更もそれが著しいものでないかぎり認められているのであつて(同法第四七条)かりに事業計画が著しく変更された場合においても収用裁決の申請が却下されるにとどまり、事業の認定自体が違法になるものではない。
土地収用法上の事業計画の性格については以上の通りであるが、なお、念のため本件事業計画は将来作成さるべき基本計画により変更される余地は殆んどない所以について、以下基本計画において定められるべき事項のうち、本件事業計画に関連を有する事項につき説明する。
松原、下筌ダム建設の目的が筑後川治水基本計画に基づき筑後川の治水を全うすることを主目的として附随的に発電事業を行なうものであるがとくに本ダムを利用して発電を行なうことの必要性は、九州地方における電力需給状況からみて顕著であり、形式上発電のためのダム使用権設定予定者が確定していなくとも、本件ダムが多目的ダムとして発電の用にも供されることの必然性は明白であるとともに、現在ダム使用権設定に関して意思表示をしている九州電力株式会社自体においてもその必要性と発電事業を営む意思は明らかであり、将来において建設の目的の変更は考えられないところである。
次にダムの位置及び規模については、地形、地質の点より技術上並びに経済上可能な最大限の治水効果を果しうるよう決定されたものである。しかうして主として梅雨期及び台風期の降雨期以外の洪水調節を必要としない期間にダムによる貯留水を利用して治水に支障を及ぼさない範囲で発電を行なうことが計画されたものであつて、仮りに発電計画が現計画より縮少されることがあつてもダムの規模とは全く無関係であるし、また発電計画が増大しこれによりダムの規模の拡大の要請があつたとしても現地形からみて工事費の極端な増大をもたらし、加えて現在の河川の流況からみても水使用の効率が極めて悪い発電計画となることから現地のダムの規模は、発電に利用することによつて変更をもたらす余地は存しないのである。
従つて、基本計画において発電に関する事項が如何に定められようとも、本件事業計画のダムの規模並びに総貯留量について変更をうけることはありえない。
要するに、本件ダムを治水の外発電の用にも供するため多目的ダムとしての基本計画を作成するに当つても、多目的ダムの建設の目的については当然のこととして、ダムの位置、規模及び貯留量については、本件ダムの規模が前述のとおり地形、地質の許す最大限のものである以上、事業計画を変更するが如き内容の決定をなしうる余地はない。因みに、基本計画が作成されるに至らないのは、専ら、ダム使用権の設定予定者並びに建設に要する費用及びその負担に関する事項がいまだ、最終的に確定しないことによるものである。
(二) 土地収用法第二〇条第一ないし第四号の要件の具備
(1) 松原、下筌ダム建設の目的
松原、下筌両ダム建設事業は、筑後川総合開発事業の一環として、河川法および特定多目的ダム法の規定に基いて行われるものである。
九州の中部を横断して流れる筑後川は、水源を阿蘇外輪山に発し、高峻な山岳地帯を流下し、幾多の渓流、支流を入れて日田市に出で、日田盆地を形成し、再び狭隘な渓谷を過ぎ、さらに多くの支流をあわせて、肥沃な筑後佐賀の両平野を貫流して有明海に注いでいる九州第一の河川であつて、流域は熊本、大分、福岡、佐賀の四県に亘り、その面積は約二、八六〇平方粁、幹川流路延長は、約一三八粁に及び、昔から田畑のかんがい用水をはじめ舟運の便に利用され、沿岸各地の経済発展に大いに役立つてきたのではあるが、一度洪水に襲われるとその惨状は到底言葉でいい現わすことのできない程酷いものであつた。昭和二八年六月二六日の如きは梅雨性降雨による大出水により本川二六ケ所の堤防が欠潰し、六七、〇〇〇町歩に氾濫し、死者一四七名、田畑の流失等その損害は実に四五〇億円にのぼつた。もちろん、明治二九年以来これが改修工事は続けられてきたものであつて、昭和二四年には治水調査会により朝倉郡志波村における計画高水流量は七、〇〇〇立方米/秒とし、そのうち一、〇〇〇立方米/秒を上流にダムを建設することによつて調整を行うものとする計画が決められていたのであつたが、右昭和二八年六月の大洪水をみて、その計画に根本的な再検討が加えられ、この結果、大分県日田市長谷における計画高水流量は八、五〇〇立方米秒に改訂すべきであることが判明した。この洪水流量の増加を安全に処理するためには河道部の大幅な流下能力の増加をはかり、明治年間より築造された堤防の全面的な引堤による拡幅または嵩上げによる河積の拡大を必要とするのであるが、引堤のみによる方法は、ほとんど全川にわたつて引堤を必要とする関係上、これにともなう用地買収面積は莫大なものとなり、かつ、沿岸の土地の利用状況等よりみて、その取得は極めて困難であり、また嵩上げのみによる方法は漏水対策が困難であり、本川の計画水位が上るため多くの支川の堤防の嵩上げ等を要し、さらには内水排除対策も困難となるほか、鉄道、道路等の橋梁嵩上げ等附帯工事が増加し、特に国鉄久留米駅の嵩上げには都市計画の変更等の困難な問題をともなうことになる。こうしたいろいろの角度から技術的、経済的に検討を重ねた結果、下流河道部の可能な限りの堀削、浚渫、堤防の嵩上げ、一部引堤等の工事による河積の増大によつて処理しうる流量は、最大限六、〇〇〇立方米/秒であることが明らかになつたので、残量は上流部に従前計画(一、〇〇〇立方米/秒調節)の調節池より大きいものを建設する方法による外はなく、この見地にたつて国はダム建設地点として久世畑外一一地点の予備調査を進めたのであつたが、水利、地形、地質、経済性、貯水効率、洪水調節効果等を勘案し、さらに治水の目的を阻害しない限り最大限の利水を考慮して発電をも含めて総合開発計画の上からも検討して、最終的に、松原、下筌両地点がもつとも適当であるとの結論に達したのである。殊に原告らが同人らの所有土地であると主張する地点は、地質良好、地形は両岸相迫り典型的なⅤ字谷をなし、下筌ダム建設の絶好の地点であつて、建設費の低廉なアーチダム(重力式の二分の一)の建設が可能なのである。
そこで、国はこの松原の地点に堰堤高八三米、堤頂長一九五米、堤体積三四一、〇〇〇立方米、型式コンクリーリ重力式の松原ダムを、下筌の地点に堰堤高一〇八米、堤頂長二一〇米、堤体積二六五、〇〇〇立方米、型式コンクリートアーチ式の下筌ダムを建設して、松原ダムにより貯水面積一・九平方粁、総貯水量五四、六〇〇、〇〇〇立方米、有効貯水量四七、一〇〇、〇〇〇立方米、下筌ダムにより貯水面積二平方粁、総貯水量五九、三〇〇、〇〇〇立方米、有効貯水量五二、三〇〇、〇〇〇立方米の貯水池を作ることにより、松原ダムの建設される地点における計画高水量三、八〇〇立方米/秒のうち二、七〇〇立方米/秒を貯留して、もつて下流長谷における計画高水流量八、五〇〇立方米/秒を、六、〇〇〇立方米/秒に低減させ、下流の河川改修とあいまつて筑後川の治水を全うすることを主目的とし、あわせて両ダムの堰上げにともなう落差および治水に支障をおよぼさない範囲、期間の容量による発電を行い、年間最大二六、四〇〇KWと一三、三〇〇KWの電力を得る計画を樹立したのである。
(2) 第二〇条第一号の要件
本件ダムが建設される松原、下筌地点は、筑後川の上流である大山川筋にあり、大山川は被告により昭和三三年四月一六日河川法上の河川の認定を受け、翌三四年三月三一日建設省告示第九五七号をもつてその旨告示された。なお河川法による直轄工事は昭和三三年度から施行されており、昭和三四年三月三一日建設省告示第九五八号をもつてその旨告示されている。
このように、本件事業は河川法が適用される河川に治水および利水の目的をもつてダムを設置しようとするものであるから、土地収用法第三条第二号に該当する事業であることは明白であり、したがつて本件事業認定が同法第二〇条第一号の要件を充足していることはいうまでもないところである。(なお杖立川の河川の認定は被告により昭和三四年六月二六日に、津江川の支川の認定は熊本県知事により同月二四日それぞれなされている。)
(3) 第二〇条第二号の要件
起業者たる国は、前記事業を遂行する充分な意思と能力とを有していることは勿論である。
国は前述したように、昭和二四年治水調査会の方針決定以来、ダム建設地点の予備調査を行つて来た結果、松原、下筌の両地点が選ばれ、昭和三三年度には松原ダムについて、昭和三四年度には下筌ダムについて、本格調査を実施するための予算化もみるに至つたのである。
この二つのダムは一刻も早く完成をみることが望ましいことはいうまでもないのであるが、松原ダムの満水位が標高二七三米であるのに対し、下筌ダムの推定岩盤線が標高二三〇米で、松原満水面は下筌の基盤より約四三米上ることとなる結果、まず、下筌ダムを建設して、しかる後松原ダムの建設に着手せざるを得ない。そこで下筌ダムの右調査はこれを昭和三四年度中に終り、昭和三五年度より仮排水路、仮締切の工事に着手して昭和三六年一〇月から堀削、昭和三七年七月からはコンクリートを打設し始め、昭和三八年度にはダムを殆ど完成し、次いで松原ダムの建設にとりかかり昭和四二年度中にはこれを完成する目標を立てているものである。
ところが、原告らを含む熊本県側の下筌ダム建設地点の関係者らは、昭和三二年ごろより、にわかに下筌ダム建設について絶対反対の意向を表明し、起業者たる国が右ダム建設のための堀削土砂量を把握する等工事実施に必要な地質調査のためにダム建設地点へ立入つて同地点の立木を伐除し、試堀、試すいを行うについて、土地所有者、占有者の同意を得ようとしても原告らと話合の機会をすら持つことが出来なかつたので、起業者たる国(九州地方建設局長)は、やむなく、立入調査については昭和三四年一月八日に土地収用法第一一条の規定に則り熊本県知事あてに通知し、試堀等については同年一月三一日同法第一四条にもとずいてこの土地(原告らの本申立に及んだ土地を含む)を管理する熊本県知事に許可申請をなし、同年四月九日同県知事の許可を受けるに至つた。
そして起業者国(九州地方建設局)は、右許可にもとずいて、同年五月一三日から下筌ダム地点の熊本県側に立入り、試堀等の障害となる立木の伐除に着手したところが、同月一九日夕刻に至り原告穴井隆雄外地元民約三〇名が作業現場に乱入して伐除作業を妨害したので、国は紛争を避けるため一たん作業を中止したところ、翌二〇日早朝、原告室原知幸外七〇名程におよぶ地元民が作業現場に坐り込み、伐除作業はついにこれを続行することができなくなつた。その後ダム地点の土地所有者である原告らを含む小国町志屋部落の者は、試堀等を妨害する目的で、同地点に監視小屋、垣柵等を設置したので、起業者国は、前述した許可以降に設置された障害物についての伐除を含む土地収用法第一四条の許可を再度申請し、熊本県知事からその許可を得るとともに事態解決のための相互の意思疎通をはかるべく、円満話合の機会を作ることを呼びかけたのであるが頑ななる拒絶に会い効を奏さなかつた。事態を憂慮した熊本県知事が説得のため昭和三四年八月二六日現地に赴いたが会見をすら断わられる始末で、下流受益者代表たる久留米市長が昭和三四年一〇月二日と一〇月一九日に現地に赴いて協力方を要請したが、これまた拒否されてしまつた。
このようにして円満なる話合は到底望むべくもなく、他方徒らに日時を過して計画の実行を遷延することも許されないところから起業者たる国は昭和三四年九月二日土地収用法による事業認定を建設大臣に申請したものなのである。
また起業者たる国は、さきに熊本県知事より得た土地収用法第一四条による試堀等の許可期限が昭和三五年三月をもつて満了するため、同年三月一六日に、再度同法による許可申請を熊本県知事に提出するとともに、同月二九日にはダムサイトの調査にともなう仮設事務所等の建設にとりかかり、四月一六日からは下筌ダムサイト左岸(大分県側)の本格的試堀工事を開始している。
これらの事実からも明らかなように本件事業認定の申請が第二〇条第二号の要件を充足していることは明らかである。
(4) 第二〇条第三号の要件
本件事業計画は土地の適正、かつ、合理的な利用に寄与するものであることも、次に述べるとおり明らかである。
本事業は(1)において述べたとおり、筑後川上流一一ケ所のダム候補地点について、地形、地質、経済性、貯水効率、洪水調節効果等を厳密に調査、比較検討した上で、松原、下筌両地点を選定した事業計画を作成したものである。
すでに述べたように八、五〇〇立方米/秒の計画高水量を河道改修のみによつて安全に流下させるためには、沿川全長にわたつて相当巾の用地を買収し全面的な引堤を行うか、堤防の嵩上げを行つて、河積の増大をはかる以外に方法はない。しかし引堤のための用地買収は沿川の土地利用状況その他からみて非常に困難なことは前述のとおりであり、嵩上げも漏水、内水対策をはじめ数多くの支川の堤防、鉄道、道路等の橋梁の嵩上げに波及し莫大な工事費を要するうえ技術的にも多大な困難を伴う。いま、河道改修のみによる方法と本件事業計画のようにダムと河道改修の併用による方法とを比較すれば、後者の方が三八億七千万円余の経費を節減できることが試算の結果明らかにされている。
しかも、本件事業計画は、下流堀八〇余万の住民の生活を洪水から守り、年平均二八億六千万円(昭和三〇年の物価に換算)の水害を防除するとともにダムによる約四万キロワットの発電増加も相当見込まれ、わが国の産業開発に寄与するところ多大なものがある。
(イ) 原告等は右事業計画について、二八年洪水の流量計算を云々し、計画高水量を八、五〇〇立方米/秒と定めたとしても、何等災害防除の効果は生じないと主張するけれども、長谷地点における流量計算は、長谷自記量水標が昭和二八年六月出水の際最高水位前に破壊されたため、水害直後附近の洪水痕跡調査を行い量水標地点の最高水位を求め、さらに昭和三一年一月計画対象洪水流量を再検討するため再度筑後川中流部狭窄地域と日田附近について洪水痕跡の調査を行つたが、出水直後の調査結果と概ね一致していた。
長谷における粗度係数については、洪水時における実測値を得るため、昭和三〇年七月八日および二三日の洪水時に河状が二八年洪水当時の長谷と略々同様と認められた川下地点(右実測当時は長谷地点は夜明堰堤の背水区域内にあつて相当の堆砂があり河状に著しい変化を生じていた)で水位観測を行い、同時点の長谷における実測流量を川下の流量として、水位勾配と断面から粗度係数を算定したところその値は〇・〇三七〇から〇・〇五六七の間に分布していたけれども、大体は〇・〇四から〇・〇五の間と認められたので平均値として〇・〇四五と決定した。
そこで右粗度係数を用いマンニング公式により計算した長谷における流量(等流計算)は八、三一〇立方米/秒、また二八年洪水の直後に九州電力株式会社で測量し、夜明ダム調査委員会で確認した長谷地点の上下の洪水痕跡について右粗度係数を用い、二、三の最大高水流量を仮定して不等速定計算をした結果からみても、高水位と痕跡水位とは完全には一致しないけれども全般的には最大高水流量は八、五〇〇立方米/秒と考えられた。
また上流域の降雨量から推定しても右数値は妥当であると思われる。
原告は資源局資料一三号の記事を根拠として狭窄部や広けた盆地では地形上マンニング平均流速公式を適用できないかのように言うが、同資料によつても粗度係数が流速に影響することは認めており、同公式の価値を否定してはいない。また、時間雨量として五時間平均値を用いたのは合流点における水位のピーク発生時刻の推定には或る程度の幅があり、また四ケ所の雨量観測所の資料を使用していることならびに合流地点における痕跡や背水の記録に良く合致すること等から計算に使用する洪水到達時間として五時間を採用し、五時間平均雨量を用いたものである。原告等の引用する論文によつても、二八年洪水について四時間雨量がよいと述べているとは考えられない。
以上のとおり計画高水量については充分な検討を経た後に定められたものであり、二八年洪水と同じ規模の出水に備える計画としては適正かつ妥当である。
(ロ) ダム地点の選定について
建設省は、筑後川治水基本計画に従い計画高水量八、五〇〇立方米/秒を調節するため、筑後川上流の玖珠川と大山川筋に洪水調節池の候補地として計一一ケ所を選定し、調査した結果、次のような結論を得、松原下筌の両地点を除いては大山川筋は勿論玖珠川筋にも他に適地を発見することができなかつた。
大山川筋
1、簗瀬 集水面積二二五平方粁、有効貯水容量一六、六三七、〇〇〇立方米
地質が良好とは云えず、ダムの調節容量に不足を生じ、仮に松原ダムと組み合わせたとしても所期の調節効果を収めることが出来ない。
2、二俣 集水面積四一平方粁、有効貯水容量一〇、五六〇、〇〇〇立方米
ダムによつて支配される集水面積が小さいのでダムの調節効果が微少となりダムサイトとして不適当。
3、久世畑 集水面積五八一平方粁、有効貯水容量八九、八九〇、〇〇〇立方米
調節地点としては好ましい位置にあるが、地質不良のため高堰堤ダムの築造は不可能であり、結局必要調節容量をとることができない。
4、下筌 集水面積一八五平方粁、有効貯水容量五二、三〇〇、〇〇〇立方米
地形、地質は11候補地点の中では良好の部に属し、調節効果も松原との組み合わせで二、七〇〇立方米/秒を調節し得る唯一の地点である。
5、松原 集水面積四九一平方粁、有効貯水容量四七、一〇〇、〇〇〇立方米
候補地点中、地質は最良であり、調節効果からみても久世畑につぐものである。下筌ダムとの組み合わせによつて所期の調節効果を得られる。
玖珠川筋
1、地蔵原 集水面積三八平方粁、有効貯水容量二一、六五〇、〇〇〇立方米
地質不良で集水面積も小さいため洪水調節の効果を期待できない。
2、千町無田 集水面積四五平方粁、有効貯水容量二三、七〇〇、〇〇〇立方米地質不良で集水面積も小さいため洪水調節の効果を期待できない。
3、猪牟田 集水面積一一七平方粁、有効貯水容量三、二八五、〇〇〇立方米
流出土砂量が大で、地形も狭谷状をなしているため、所要の調節容量を確保できない。
4、鋳物師釣 集水面積三九平方粁、有効貯水容量八八〇、〇〇〇立方米
ダムの容量が僅少で問題にならない。
5竜門 集水面積三三平方粁、有効貯水容量二、七六〇、〇〇〇立方米
集水面積が狭小で洪水調節効果は得られない。
6、下榎釣 集水面積五四八平方粁、有効貯水容量一、五六〇、〇〇〇立方米
流域が大きいのに有効容量が僅少となり、従つて調節効果も小さく、反面、国鉄久大線の水没等のため、補償費がかさみ経済性においても劣る。
したがつて、筑後川治水のためのダム建設計画が、本件事業認定のとおり大山川筋の松原、下筌地点に落着いたのは、当然のことであり、これによつても所期の洪水調節効果をあげるに充分である。
(ハ) 堆砂
松原、下筌ダムの建設計画を樹てるにあたつては、堆砂の問題も充分検討されており、事業計画書に明らかなように有効貯水容量は堆砂量を考慮にいれて決定されたものである。
元来、貯水池への土砂の流入は各種の複雑な条件に支配されており理論的な算定式として充分信頼がおけるとされるものは見当らないので、本件ダムについては、昭和三〇年八月鷲尾教授の流域踏査の結果による経験的推定値、大分県砂防課の資料に基く推定値、筑後川上流域の既設貯水池の堆砂資料に基く推定値、田中氏法による推定値を併せ考慮し、下筌ダム三七〇立方米/平方粁/年、松原ダム二四〇立方米/平方粁/年を年間堆砂量値として採用している。
また砂防については筑後川総合開発前期五ケ年計画で玖珠川、大山川はじめ約七五渓流について約七億円、後期五ケ年計画で約八五渓流について約一〇億円の事業を実施する計画であり、治水のため民有林、国有林地区について前期五ケ年計画で約四億円、後期五ケ年計画で約五億円の事業を実施する計画であるから、筑後川総合開発計画の一環である本件事業計画はこれらの点についても充分留意して樹てられたものであることが判る。したがつて、原告等の主張するような事業認定の瑕疵はあり得ない。
(ニ) 地質
久世畑地点は、この一ケ所で二、七〇〇立方米/秒の調節効果を収め得るところであり調節地点としては好ましい場所に位置しているので、建設省として綿密な調査をしたところ、
1、断層が堤軸方向に三本、堤軸と直角方向に一本あることが認められ、そのうちダムサイト下流の堤軸方向の断層にはかなりの巾の破砕帯があるとみられるし、流心方向(堤軸と直角)の断層は三ないし五メートルの変位とみられること。
2、恵良熔岩上部の風化帯三・五メートルおよび赤色凝灰岩一・五メートルは透水性のものと認められること。
3、耶馬渓熔岩下部の泥灰岩、角礫凝灰岩も透水性があると認められること。
4、阿蘇熔岩下部の砂岩、泥岩、礫岩層は透水性である。
5、耶馬渓熔岩には節理が発達しているので、その処理を必要とする。
等の諸点が明らかになり、補償物件として水没家屋五七七戸、同田畑一五〇町歩、同山林一四〇町歩を算え、コンクリート重力式ダムの有効容量当りの建設費は一六六円/立方米になるものと試算された。
これに引きかえ、下筌ダムサイトはⅤ字形の地形のため建設費の低廉なコンクリートアーチ式ダムの建設が可能であり、有効容量当りの建設費は一一一円/立方米また、松原ダムではコンクリート重力式ではあるが一二六円/立方米と試算された。
もつとも下筌ダムの地質についても
1、断層は東南東―西北西、南西―北東方向に優勢であるが流心方向の断層には、はつきりしたものはない。
2、ダムセンター附近では小竹熔岩に対し下筌熔岩が貫入し岩頸(ネック)状であるから深部まで同一岩石からなり、この岩体は強固である。
3、右岸の小熔岩との接触部では局部的に角礫状熔岩を挾むところがあり、この部分は強度も劣り透水性も大きい。
4、下筌熔岩は縦方向の節理が発達しているのでグラウト工法が必要である。
5、小竹熔岩は全般的にやや風化し、軟弱で流路方向の割れ目や縦方向の節理が多い。
以上の点が判明したが、小竹熔岩の処理と節理さえ完全であれば高堰堤ダムの良好な候補地と云える。
また松原ダムの地質について
1、左岸標高三〇〇メートル、右岸標高二〇〇メートル附近に先耶馬砂礫層があり、透水性に極めて富み下流に多量の湧水をみるところがあるから地質的には二八〇メートル程度が限界である。
2、ダムサイトの河床および崩谷の西方の谷沿に松原層があり、耐圧、強度、透水度等の点で安山岩に比較し劣るのでグラウト工法の必要がある。
3、ダムサイトセンター直下流、右岸の沢およびこの沢に対応するセンター上流に断層が予想される。この層には凝灰岩はないけれども、角礫状熔岩が多いので基礎処理を入念にする必要がある。
等の点が明らかになつたが、それでも地質の点では最良の地点であり、補償物件も水没戸数一六五戸(下筌は一八五戸)、同田畑五四町歩(下筌は五八・六町歩)、同山林六〇町歩(下筌は九七・七町歩)発電所二ケ所一三、〇〇〇キロワット(下筌は一ケ所二、六〇〇キロワット)で松原、下筌を合計しても久世畑よりは少い。
原告等は、起業者の地質調査を云々するが、先に一言したように、起業者である建設省が本事業認定の申請にあたり原告等の所有地について試堀等を行うことができなかつたのは、専ら原告等の実力による立入阻止の反対運動が強硬なため、流血の惨事を回避せざるを得なかつたからであり、その責は専ら原告等にある。また、原告等の所有地についても、起業者は昭和二九年に九州大学に依頼して綿密な表面踏査による地質の調査を行い、地質は良好である旨の報告を得ている。さらにその後も原告等の所有地の対岸(左岸)については試掘、試錐を行つておりその地質がダム建設に適することが確認されていて、これから類推して原告等の所有地も同様良好なものとみるべきことは下筌ダム地点の地質成因等を考慮すれば地質学上明白である。それ故起業者は事業認定の申請にあたり敢えて原告等の妨害を排除してまで試掘等を強行しなかつたのである。
なお起業者が昭和三四年に熊本県知事の許可を得て試掘等を行おうとしたのは事業認定申請書を作成するに必要だつたからではなく、ダムの堀削土砂量を把握する等の工事実施の準備の必要性に基くものに他ならない。
(5) 第二〇条第四号の要件
土地を収用する公益上の必要があることも明白なところである。
本事業は筑後川下流の住民を洪水の被害から保護するとともに、ダムによつて貯留された流水を利用して発電を行おうとするものであつて、民生の安定、経済の発展に寄与すること著しく大であることはすでに述べたとおりである。そしてこのためには本件の両地点にダムを設置する必要があり、従つて本件係争地を収用しなければ右事業を遂行することは不可能であることは多く言うをまたないところである。
なお本件事業の緊急性について言えば、筑後川の治水計画は年超過確率百分の一の洪水量を対象にしているけれども、百年に一回程度の規模ということは、その洪水が百年目毎に起るというわけではなく、何時また起るかもしれない性質のものである。ところが筑後川下流の河道改修工事は、ダムで二、五〇〇立方米/秒を調節するものとして六、〇〇〇立方米/秒ないし六、五〇〇立方米/秒を疎通させる計画で施行中であり、ダム建設前に河道改修が完成したとしても、八、五〇〇立方米/秒の洪水が出た場合には、完成した河道改修も用をなさずその被害は二八年洪水の実例にみるように測り知れないものがある。それ故河道改修と並行してダムを建設することは緊急かつ不可欠なものである。
(三) 本事業認定には手続的にも何ら瑕疵はない。
さきに述べたように、一部の関係者はダム建設絶対反対をとなえ、今後松原、下筌両ダムの設置にともない必要となる用地の取得を任意協議により解決することも困難であると予想されたので、起業者たる国は、昭和三四年九月二日付をもつて土地収用法第一六条の規定により事業認定の申請を建設大臣に行つたものである。建設大臣は九月七日これを受理したが、本事業が水没者も多いので土地収用法による手続を進める前に、なお地元民の了解をうるようあらゆる方法を講ずべきであると考え起業者の機関である九州地方建設局長に命じて、筑後川改修期成同盟会の代表者である久留米市長に、原告室原と面会しダム建設の了解をうるよう依頼し、同市長は二回にわたり原告室原と面会したのであつたが了解を得ることはできなかつた。そこで建設大臣もやむを得ないものと認め、土地収用法第二四条の規定にもとずき事業認定申請書を地元の縦覧に供するため、一二月二二日に建設大臣から関係市町村長あてに右申請書の写を送付するとともに、熊本大分両県知事にも右申請書の写を添えて地元の縦覧に供する旨の通知をし、土地収用法第二五条にもとずく意見書が原告室原ほか四〇七名から提出された。
これらの意見書の内容を検討した建設大臣は、なお処分の慎重を期するため係官を現地に派遣して実状を調査させる一方、同年二月二五日付で地元からの意見書に対する起業者国の機関たる河川局の意見および九州地方建設局の説明を求め、九州地方建設局にはさらに地元関係者にも説明をするよう要請した。そしてこれに対しては河川局長からは同年三月三一日に意見書が提出され九州地方建設局長からは三月二九日に説明書が提出され、四月五日には九州地方建設局長から地方関係者に対する説明会の開催状況の報告を受けたのであるがその間四月二日に熊本県知事から建設大臣に対し最後の斡旋をする旨の申出があつたため、建設大臣は事業認定を一時留保していたところこれも失敗に終つたので四月一九日に官報に事業認定の告示を行つた次第である。
以上のように本件事業認定に関しては法律で定められている手続以上の手続が行われておるものであるから、その間にいささかの瑕疵も認められない。
三、本件事業費の支出につき一言すると、松原、下筌ダム建設工事について昭和三五年度以降の予算(治水特別会計)に電気事業者が負担すべき予定金額を歳入予算に計上しているが諸般の事情により基本計画の作成が遅れたため収入されなかつたので、これまでのところ一般会計からの繰入金収入を主たる財源として工事を行わなければならないことから当該財源の範囲内で歳出予算に基いて工事に要する経費を支弁してきたものである。
元来歳入予算の法律的性格は毎会計年度における歳出の財源としての収入予定額の見積であるということにつき歳入自体は各法令に定められた権能に基いて徴収されるものであつて、ただ予定収入に対する不足はそれによつて何等かの形で歳出が制約されることになるという事実上の関連があり得るに過ぎない。
それゆえ前述のような本件工事予算の執行は国の財政会計関係法令に何ら牢触するところはない。
第三、証拠《省略》
理由
第一 本案前の主張に対する判断
一、被告は土地収用法にいう「事業の認定」は専ら起業者に同法所定の手続を履践することによつて被収用者の有する権利を取得(公用徴収)できるという「権能」を附与するにとどまり、いわば収用手続上の権利義務の主体となり得る地位もしくは資格を附与するものにすぎず、これによつて直接私人の権利を侵害するわけではないから「事業の認定」そのものは行故訴訟の対象となり得ず本訴は訴の利益を欠く不適法なものであると主張する。しかしながら「事業の認定」は土地収用法(以下単に法と略称する)に基く公用徴収の手続の基礎となる行政行為でありとくに法第一九条、第二〇条は「事業の認定」をなし得るための積極的要件を列挙明示しているものであるから、斯る法規に抵触する違法な「事業の認定」に対しては法律上利害関係を有すると認められる者から直接その取消(又は無効確認)を訴求し得るものと解するのが迅速にしてかつ簡明直截な権利救済の方法であることは論をまたないところである。もつとも事業の認定のうち都道府県知事のなすものについては法第一二九条以下の規定で訴願裁決を経て訴訟へ至る不服申立の方法があるから旧行政事件訴訟特例法第二条の適用を受ける限り(行政事件訴訟法附則第四条参照)直接取消訴訟を提起する余地はない(特例法第二条但書の場合を除く)けれども建設大臣のなす事業の認定については斯る規定は存在しないから両者の権衡及び行政事件訴訟法第八条の趣旨を斟酌すればこれについては直接取消訴訟を提起し得るものと解するのが相当である。
被告は事業の認定それ自体では私人の法律上の地位には何等の拘束も生じないと主張するが、土地収用手続のように公用徴収権の設定・行使が数個の行為をもつて組成され先行行為を前提として後行行為がなされる関係にあり、しかも確定的な法律効果の発生は後行行為に結びつけられているような場合には、何等かの事由で行政庁が後行行為に出ることはあり得ないといつた特段の事情がある場合を除き将来なさるべき後行行為をも包括して考察するのが妥当であり、この意味において先行行為の段階においても後行行為を条件として一種の法律上の不利益をもたらすものと解するのが相当である。まして後記認定のとおり事業の認定に続いて土地細目の公告がなされれば土地所有者のみならず全ての人との関係で形質変更禁止の効果を生ずるから(法第三四条)ここに至つては確定的に一種の法律効果を生じていることは明らかなところ、この場合に先行行為たる「事業の認定」の違法性を理由としても土地細目の公告しか争い得ないとすることは迂遠というべく、ことに前示のように事業の認定は収用手続の基礎となる重要な処分であること及び前掲法第一二九条の規定も、事業の認定につき利害関係を有する者があることを前提としていることに徴しても前示のとおり事業の認定処分そのものを直接争い得るものと解するのが相当であるから被告の主張は採用できない。
二、もつとも右の見解によつても直ちに起業地内の土地等の物件所有者等が取消訴訟の原告適格を取得するものと断定するのは早計である。けだし「事業の認定」の段階では法第三二条の土地細目の公告の場合と異り起業地の範囲の表示は市町村字をもつてなされれば足り必ずしも地番地目まで表示することは要求されていないものと解されるし(法第三二条と法第一八条との対比)同法施行規則第三条二号ロの規定に照らせば事業の認定をなす時点においては未だ収用(使用)しようとする区域が確定していない場合をも予想しているところからみれば起業地の表示と被収用地の範囲とは必ずしも同一でない(但し後者は必ず起業地内に存しなければならない)ことが窺われるからである。
しかしながら少くとも土地細目の公告があれば前示のとおり形質変更禁止の効力を生ずると同時に当面の収用の対象が明確になりその利害関係者も自ら特定されるものであるから、この段階においては公告のあつた当該土地の所有者等は事業の認定につき利害関係を有するものであること従つてその取消訴訟につき原告適格を有することは明らかである。(そうでなくても起業地が一筆の土地である場合や何等かの資料により被収用者となることが明瞭な場合は敢えて土地細目の公告がなくとも原告適格を肯認できる場合が予想される)
三、そこで本件につき判断するに原告等のうち室原知幸、穴井隆雄、末松アツの三名の所有に係る別紙目録記載の土地につき昭和三五年五月二日熊本県告示第三一六号により土地細目の公告があつたことは当事者間に争いがないから、右三名については本訴の原告適格を肯定し得るけれども原告末松豊は右土地についていかなる利害関係を有するか明らかでなく、職権によつてもその当事者適格を肯認すべき的確な資料を認め得ない。
よつて本訴のうち原告末松豊の請求に係る部分は不適法として却下すべきものであるが、その余の原告等の請求は適法と認めるので進んで本案につき判断を加える。
第二本案の判断
一、基本計画の欠如と事業計画の不備
(一) 本件事業の認定を受けた松原、下筌の両ダムはいずれも洪水調節と発電を目的としダム法の適用を受ける多目的ダムとなるべきものであること、しかるに同法第四条の要求する基本計画は未だ作成されていないことはいずれも当事者間に争いがなく、原告等は基本計画を欠くことは事業計画を欠いたに等しい瑕疵であると主張し、被告は両者は無関係であるとの見解をとる。
(二) 思うにダム法第四条一、二項の規定は建設大臣が多目的ダムを新築しようとするときは着工に先立ち予め基本計画を作成公示し建設の目的、位置及び名称、規模型式、貯留量、取水量及び放流量、貯留量の用途別配分に関する事項、ダム使用権設定予定者、建設費及びその負担に関する事項等を定めておく義務を課したものと解するのが正当である。けだし抽象的に考えても数個の事業主体がそれぞれ異なる目的で単一のダムを建設し利用しようとするのであるから各事業主体間の利害(権利関係)が調整されなければダムの円滑な管理運営は期し難い、のみならず各事業主体の亨受する便益に応じて建設費用の分担が取り決められなければ工事の進行さえ覚束ない道理であり、いわんや国が河川法に則り治水工事を施行するのであるから特別の根拠もないのに他の事業主体が負担すべき工事費用を立替支出することは許されないことがらであつてみれば斯る事項について予め基本計画として公示される必要があると考えるのがダム法の理想にそう解釈であることは明らかであり、ダム法制定の沿革についてみても、同法制定前の多目的ダムは各目的ごとに事業主体を異にする結果ダム建設は数個の事業主体が共同施行する建て前をとり(仮に建設大臣が他の事業主体のなすべき工事を受託することが許さるとしても建設工事の受委託契約等の手続を要し煩雑である)工事費用は両者の会計に依存するという結果になり、しかも建設費用の分担(振り分け)によつて完成したダムは共有関係に陥りダムの管理も共同で行うという結果になる)費用の振り分けについては電源開発と公共事業とくに洪水調節事業との間では電源開発促進法第六条二項及びこれに基く昭和二八年政令一〇四号で負担及び割合の算定方法を定め河川工事施行者と電源開発工事施行者相互間では工事の受委託をできることを明確にしたがそれでも各事業主体が投資した結果である持分を公示し或は担保化する方法はなかつた)ので他の事業者の同意を得て河川管理者が一元的にダムを管理できる場合は格別そうでないかぎり共同管理はそれ自体手続を煩雑ならしめるうえ洪水調節目的を有するダムにおいては出水に応じ迅速なダムゲートの操作を要し貯留水の有効適切な管理がなされなけばならないのに利水とくに発電事業とは流水貯留の点で相容れない立場に立つこともあり、多目的ダムの所有関係と管理関係を法令上適切な形に整備規制することは治水行政上の重要な課題の一とされていた(鑑定人新沢嘉芽統の鑑定結果とその法廷における供述からこれを窺い得る)が他方国内の水資源は無尽蔵のようでありながら経済的に開発可能な地点となると限られてくるので、これを洪水調節等の単一目的のダムとして占用してしまうときは、社会経済的にも損失が大きく(採算上水資源の開発適地はさほど多くないから)、ダムの建設費の支出の点でも他の事業者(たとえば発電目的を併有するダムでは当該電気事業者)に建設費の一部を負担させることが許されればこれに過ぎる方法はないので、斯る治水行政上の懸案を一挙に合理的に解決するため昭和三二年法律第三五号をもつて建設の主体と責任の所在を一元的に明確にして特定多目的ダム法が制定施行されるに至つたものと解され、それゆえダム法に規定する多目的ダム(以下特に断わらないときはダム法上の多目的ダムを指す)は河川法の特例をなすものとして(ダム法第一条)ダム自体の建設は河川法第八八一項により建設大臣が建設する公共事業ではあるけれども発電、水道、工業用水(以上がダム法第二条に掲げる特定用途の利水事業)に限りその貯留水を利用させるものとし斯る利水事業を営む者に対し物権たる「ダム使用権」(ダム法第二条三項、第二〇条)を設定附与する反面建設費を所定の方法で算定した割合に応じて負担させることにした(同法第七条)ものである。従つてこの沿革に徴するならばダム法第四条が建設大臣に作成を命ずる基本計画はダム法制定前における多目的ダム建設に際し各事業主体間で共同施設の建設につきなされた協定に相当するものであり、この基本計画によつて各事業目的ごとに各事業主体の負担すべき費用が定まるものである。(この意味において基本計画は多目的ダム建設工事を共同工事ではなく河川工事そのものとして建設大臣が施行するために必要な協定に代わる一の手続なのである。)このようなわけで特定多目的ダム建設工事予算に関する現行の治水特別会計法第一四条三項でとくに「歳出予算の全額を支出するには当該区分による歳入の収納済額をこえてはならない」旨を要求しているものと解される。またダム法施行令第八条によれば工事用道路の工事費、工事事務所の事務費、用地費、補償費等はいずれもダム法第七条による負担の対象となる建設費に含まれるものであるところ、ダム法施行令第九条により斯る負担金は「毎年度建設大臣が当該年度の事業計画に応じて定める額(法第七条一項の負担金)を建設大臣が当該年度の資金計画に基いて定める期限までに納付しなければならない」ものとされ、これについて建設大臣は強制徴収権を有する(ダム法第三六条)ほか負担金を納付しないダム使用権設定予定者の使用権設定申請を却下しなければならない義務を負うものである。(ダム法第一六条二項二号)
このように多目的ダムの建設はまさに多目的なるがゆえにその特定用途の利水事業がいかなる種類のものであり何人がこれを営むものであるかが明にされていなければならないのは勿論であると同時にダム建設工事の進捗自体も建設費の負担及び納付と密接に関連していること前示のとおりであるからこの点からも利水事業者(ダム使用権設定予定者)との間で建設費負担額等について取り決めがなされていなければ多目的ダム建設工事の適正な進行を期し難く、さすればダム法の建て前として着工に先立ち予め基本計画の作成を要求しているものと解するのが正当である所以は明らかである。(なお本件事業認定の当時、建設省計画局長として被告を補佐していた証人関森吉雄の証言でも基本計画が予め作成されていることがダム法の理想にそうものであることを認めている。)
(三) しかるに成立に争いがない甲第三九号証(昭和三五年版建設白書)同第四〇号証(同三六年版(乙第九号証によれば、松原、下筌ダム建設工事は昭和三三、四年度にはダム法による予算の下に着工されているにもかかわらず、本件事業の認定を受けた昭和三五年四月一九日当時は勿論、現在に至るも未だ各ダムについて基本計画が作成されていない(このことは当事者間に争いがない)のであるから、起業者である建設大臣が本件多目的ダム建設工事を実施しようとすることは問題をダム法の面に限つて考えるかぎり同法第四条の趣旨とするところにそわないものというべきである。(被告主張のようにダム法による多目的ダム建設例中、基本計画の作成を見ない間に建設に着手した例が二、三あるからといつて基本計画の欠如というダム法第四条違反の瑕疵が消滅するわけのものではない。
しかしながら基本計画の欠如は元来ダム法の問題であり、土地収用法に基く事業認定の適否が争われている本件においては基本計画が作成されていないのに多目的ダム建設を目的とする事業認定を行うことが適法であるかどうかということになるので以下この観点から順次検討を加えていく。
(四)(1) 先ず原告等はダム法の基本計画を欠く事業認定の申請は方式的に瑕疵があると主張するけれども、本件事業認定の申請書に法第一八条第二項に定める事業計画書等の書類、図面(以下一括して添付書類と呼ぶ)が添附されていること、そのうち事業計画書の記載事項は同法施行規則第三条二号に定める各事項に漏れなく言及していることは右事業認定申請書及び事業計画書である成立に争いない乙第九号証から明らかなところである。したがつて本件事業認定申請書には法第一九条に規定するような方式上の瑕疵は認めるべくもなく、同申請書にダム法の基本計画を示す書面が添附されなければ申請が不適式になるものと解すべき根拠はないから被告が本件申請を却下しなかつたことを非難する原告等の主張は失当である。(土地収用法施行規則第三条は事業計画書の記載事項を列挙すると共にその内容を説明する「参考書類」があるときはそれを事業計画書添附することを要求しているものであるが本件申請書には右にいう参考書類の添附がないことは乙第九号証自体から明白であり、基本計画に関する資料の如きは申請の方式上からはここにいう「参考書類」に該当するものと解されるけれども、斯る参考書類は法第一八条に定める添附書類とは異るものであるからこれを添附しなかつたとしても事業認定の申請に内容的に不十分な面が生ずることがあるのは格別、参考書類の欠如が直に法第一九条にいう方式上の瑕疵となるものではない。)
(2) このように本件事業認定の申請には方式上の瑕疵は認められないけれども、そもそも事業計画書というものは(ここに事業計画とは前述の参考書類をも含めて用いる)当該事業が法第二〇条一号ないし四号に定める事業認定の要件を具備するか否かの判断を下す基礎となる最も重要な資料である)このことは添附書類のうち事業計画書以外はいずれも法第二〇条各号の要件を積極的に根拠ずけるような性質のものではなく、かえつて事業計画書の記載事項を定めた土地収用法施行規則第三条一号のうち「ハ」、「ニ」、「ヘ」の各事項はそれぞれ法第二〇条二号ないし四号に対応する事項であることからも窺うことができる。)
そうすると事業計画書の記載内容が十分でなく他にこれを補足するような参考書類もないときは法第二〇条各号の要件の存在を認めることができず従つて積極的に事業の認定ができない結果となることもあり得るから更にダム法の基本計画の欠如があるにもかかわらず既に事業の認定を受けた本件申請書に添附された事業計画書が適法なものであつたかどうかを次に検討する。
(3)(イ) 本件事業計画書(乙第九号証)によれば本件事業は総貯水量五、四六〇万立方米、有効貯水量四七、一〇〇万立方米の松原ダム、同五九、三〇〇万立方米、同五二、三〇〇万立方米の下筌ダムを建設し合計二、七〇〇立方米/秒を貯留して下流の長谷地点における計画高水流量八、五〇〇立方米/秒を六、〇〇〇立方米/秒に低減させ、下流の河道改修とあいまつて洪水調節を図る治水の目的及び両ダムの貯留水を利用し治水に支障を及ぼさない範囲で発電を行い最大出力二六、〇六〇キロワット(松原ダム)、同一三、九六〇キロワット(下筌ダム)の電力を得ようとする利水の目的で計画されていること、そして右発電効果の詳細は同計画によれば次のとおりであることがそれぞれ認定できる。
位置 下筌 松原
型式 ダム式 ダム水路式
キロワット キロワット
最大出力 一三、九六〇 二六、〇六〇
常時出力 一、七〇三 三、八四三
常時尖頭出力 五、一一〇 一一、五二〇
渇水期平均出力 五、四六〇 九、八六〇
渇水期尖頭出力 八、七三〇 一八、一〇四
(ロ) このように本件ダムはいずれもダム法にいう多目的ダムであるがダムそのもの建設(すなわち本件事業)は起業者の資金と責任において完成することを期待でき且つダムの完成により治水の目的は達成できるものとしても、発電効果はさらに発電所、水路(松原ダムの場合)等のいわゆる専用施設が建設されなければ実現されない性質のものであるところ斯る専用施設はすべて電気事業者の資金と計算で建設運営されるものであつて起業者の与り知らぬところであるから(公知の事実である)事業計画書にうたう発電効果の可否は格別の専用施設を要しない本件の治水効果と同一に論じることはできない性質のものである(このことは発電専用ダムを建設するため事業の認定を申請する場合を想定すれば明らかである。すなわちダムの位置、型式、規模等のダムに関する諸元及び発電の効果のみが計画として明示されても未だ、発電所等の専用施設に関する計画=技術及び資力等=が詳にされない限り計画どおり発電効果が達成できるかどうかを判断することはできず事業計画として不十分なことはいうまでもない。)。
換言すれば多目的ダム建設の事業計画として発電効果を採りあげるかぎりその事業計画書には発電効果の達成が確実であることを首肯せしむるに足るだけの計画すなわち電力専用ダム建設の場合の事業計画書と同等程度に電気事業者、発電専用施設の建設、貯留水の用途別配分等の事項が明にされていなければ事業計画書としては内容的に不備なものであるとの非難は免れ難いものである。もつとも専用施設の建設自体は流水使用権(設定予定)者のなすべき事業であつて必ずしも起業者の事業に含まれるわけではないから、右に述べたような事項を遂一事業計画書に記載することは必ずしも必要ではないけれども所管行政庁は事業認定申請書及びその添附書類したがつて事業計画書とその参考書類を中心として法第二〇条の要件の存否を判断せざるを得ない立場にあるからおのずと事業計画書もしくはその参考書類といつた形で専用施設等に関する事項が明にされるべき必要を生じてくるものである。(もつとも法第二〇条の要件の存在は提出された資料のみで判断すべきものでないことは言うまでもないが、本件の場合事業計画書等を除き他に起業者及び認定処分を行なう行政庁としての建設大臣が特別の資料を有しこれを斟酌して法第二〇条の要件の具備していることを認定した形跡はなくそのような特別の資料の存在は立証されていない)それゆえもし仮に専用施設の建設等に関する具体的な裏付(電気事業者の意思と能力に裏付けられた具体的計画の存在)がないのに発電目的を兼併する目的ダム建設の事業の認定を行つたとすれば少くも発電目的の部分については合理的な根拠を欠くのに認定処分をしたとの非難は免れずそれが多目的ダム建設の事業認定の全体を違法ならしめるものとなる場合も考えられる。けだし法第二〇条の要件とりわけ二号ないし四号の要件の存否を判断するに当つては事業計画にうたう効果が実現可能でありその確実性が極めて高いものと認められることが必要である(確然性が必要であり蓋然性では足りないと解される)ところ、後述する建設費負担金の折衝がもしまとまらないときは発電事業は当分見送られることも考えられ、負担金額については客観的合理的な算定方法が政令で定められているとしても私企業である電気事業者はそれぞれの発電計画と資金計画に従つて企業活動を行つているものであるから折衝が難航する余地は決して少くなく発電という効用まで考慮して始めて事業認定の要件の存否が判断されるような事業にあつては発電事業の脱落のおそれが認定の可否を左右することも充分考えられるところである。のみならずダム法が基本計画で建設費の負担や流水使用権の内容等を明確にすることを命じた理由の一はダム着工に先立ち予め起業者と他の事業者との間の権利義務関係を明確にしておこうとするところにあると解される。
しかるに本件事業認定の申請書及び添附書類中には右に論じた発電事業者、発電施設等に関する諸事項を明にする資料は存在せず、今日漸く起業者とダム使用設定予定者に擬せられている九州電力株式会社との間でこれらの点について折衝しようとし又は折衝しつつある段階であり、とりわけ重要な建設費の負担に関する両者間折衝は漸く具体的な数字を挙げて交渉に入ろうとしている程度で、これがダム法の要求する基本計画が作成できないでいる最大の原因であると同時に先に指摘した発電効果を裏付ける資料の不備となつた理由でもあることは以下に認定するとおりである。すなわち、
(ハ) 前顕乙第九号証、成立に争いない乙第三〇号証、証人(省略)の各証言及び弁論の全趣旨を綜合すると建設省及びその出先機関として筑後川の治水工事を担当している九州地方建設局は、昭和二八年洪水の実情から判断して計画高水流量(長谷地点)を八、五〇〇立方米/秒に引き上げる必要を感じこの高水流量を基礎として従前立案されていた治水計画を再検討した結果、河道改修と洪水調節ダム設置の両方式を併用して筑後川の治水計画を立案することが洪水調節技術からみて安全であり経済的にみても治水事業費を節減できる最も有利な方策であること(両方式の併用という治水対策上の構想はすでに昭和二四年に治水調査会の意見として発表されていた)この場合の治水工事費を試算した結果によると、河道改修で六、〇〇〇立方米/秒までの高水を疎通させ残る二、五〇〇立方米/秒を洪水調節ダムで貯留する場合が最も経済的な(工事費を極小にする)方法であるとの結論に到達したので起業者は筑後川上流部の大山川、玖珠川筋にそつてダムサイト候補地を物色し調査検討した結果、初期の段階では久世畑地点が一個のダムで所要の流量調節が期待できるところから最も有望視されたので引き続き地質調査を詳細に進めたところやがて後に認定するように地質上の難点が明になりその上補償関係の費用が巨額に上ることから同地点を断念することになり、これに代るものとして遅くも乙第四九号証(筑後川水系治水基本計画附属調書)の成立を見た昭和三二年二月頃には松原地点ほか一個所の組み合わせにより洪水調節を行う方針が打ち出され同年夏頃遂に松原、下筌の二地点に決定を見たこと、このように当初は専ら洪水調節の機能を中心としてダムサイトの選定に考慮が払われていたところ久世畑が放棄され松原ほか一個所の組み合わせに方針が変更された頃から発電を兼併する多目的ダムの構想が外部に打ち出されその頃から昭和三三年の間に建設省から電力行政の所管である通産省に対し本件ダムを発電を兼ねる多目的ダムとして建設する旨の連絡があり通産省公益事業局ではこの旨を九州電力へ連絡しており、昭和三三年四月からは予算面でも多目的ダムを建設するものとして調査関係の費用が組まれたこと当時九州電力は久世畑地点については格別の発電計画を有していなかつたことは証人三島慶三の証言に明らかである。)しかしながら起業者は発電の点は兎も角として筑後川の治水計画を早急に実施する必要を感じておりそのためには本件ダムの建設が緊急にして不可欠のものであると考えていたところ現地におけるダムサイト地点の住民の抵抗に遭い(とくに下筌地点はいわゆる峰の巣城事件として世間の注目を惹いたことは公知の事実である)計画の実施が遅延することは必至であつたこと、そこで本件事業のため土地収用手続に踏み切ることにしたが事業の実施を急ぐあまりダム法上の基本計画の内容となるべき諸事項とりわけ特定用途の利水事業を営む者に該当する電気事業者との間の折衝をまつて決定せらるべき事項については確たる合意(もしくは取り決め)がないままに本件事業の認定を申請するに至つたこと、従つて当然のことながら本件事業認定申請書(乙第九号証)中の発電効果に関する数値は九州電力の発電計画とは相違し、九州電力が現地調査のうえ具体的な発電計画を樹てたのは漸く昭和三七年末のことであつて右九州電力の計画による発電効果と事業計画書中のそれとは必ずしも一致しないこと(ただし発電の方式及び発電効果の大体の数値はさほど相違するものでないことは証人(省略)の証言で明らかである。)がそれぞれ認定できこれを覆すに足る証拠はない。
(ニ) 、また成立に争いない甲第一四号証、第三三号証の一ないし三、第四九号証、証人(省略)の各証言及び弁論の全旨を総合すると、九州電力は昭和三五年二月起業者に対し本件各ダムにつきダム使用権の設定許可申請書を提出してはいるけれども、同申請書は九州電力が先願者的地位を獲得する目的で提出したものであつて法令上必要とされる添附書類、図面等を全く欠いたものであつたこと、当時九州電力は松原、下筌につき右添附書類、図面の内容となるべき具体的な発電計画の成案を有しておらず単に水力発電の適地として開発を予定していた程度であつたこと、発電計画としての成案を得たのは前示のとおり昭和三十年末でありこれに基いて九州電力は昭和三八年一月三一日付であらためてダム使用権設定許可申請書を提出していること、(この経緯からも明らかなように建設費の負担に関する折衝は九州電力の独自の調査結果がまとまるまでは具体的な交渉を進めることができないでいたものである。もつとも昭和三五年に負担金の予納という方法で建設費を負担するように起業者から九州電力に対し申入があつたけれどもこれは九州電力に法令上の義務を生ぜしめるものではなく九州電力は電力行政の所管庁である通産省((公益事業局))と協議のうえこれを断つたこと)なお我国の電力行政のあり方からみて九州電力が本件ダムの貯留水を利用して発電事業を営むためダム使用権の設定を受けるであろうことはほぼ確定的なものと認められ、起業者も九州電力が発電事業を営むこととを前提として本件事業計画を立案していることがそれぞれ認定でき、これに反する証拠はない。
(ホ) このように本件事業は治水(洪水調節)及び発電を目的とするダム法にいわゆる多目的ダムの建設を目的とするものであるにもかかわらず事業認定の際には勿論、三年を経過した今日に至るまでダム使用権設定予定者、建設費の負担の割合、等の基本計画の眼目となるべき事項については成案を得ておらず使用権設定予定者に擬せられている九州電力も昭和三七年末に至りようやく発電効果等について独自の立場からの調査を了え発電専用施設等に関する具体的計画を作成することができたものであるから本件事業認定の申請に際し起業者が提出した事業計画書中の発電効果に関する部分は(少くとも本件認定処分があつた当時まで)実際に発電事業を営む利水事業者(となる予定)の九州電力の計画によつて裏付されていない点で起業者の単なる「見込」であり、言い換えれば発電の可能性を示唆したと大差ない記述にすぎないものと評すべく、他にこれを覆すに足る資料は存在しない。
それゆえ原告等が本件事業計画書中の発電効果に関する部分は多目的ダム建設の事業計画としては不備不完全なものであると指摘する点はこれを首肯できる。しかしながらそれだからといつて本件の場合に斯る不備をもつて当然に事業の認定を無効としもしくは取り消すべき事由に該るものと断定するのは早計である。それは事業認定申請書及びその添付書類に方式上の欠陥がない以上は、その事業認定処分の適否は専ら土地収用法第二〇条の要件を具備していたか否かによつて判断しなければならない事柄であるから、本件の場合も前述のような発電効果に関する事業計画書の記述が不備であることがひいて右法条に規定する要件を欠く結果となるかどうかの判断の問題に帰着するものであるところ、前に認定したように本件事業はそもそも筑後川の治水を目的として立案された筑後川水系治水基本計画に則り合理的な治水計画を実施するためには是非必要と考えられる洪水調節ダムとして着想され数年にわたる調査検討を経て計画されるに至つたものであつて、その主目的はあくまで洪水調節にあるものと認められるし、斯る治水工事が可及的速に実施されるのが望ましいことは何人も否定できないものであるところ、他面利水行政の見地からみれば流水という資源も経済的に開発可能な地点には限りがあるので国家資源の効果的利用を図る必要があり併せて治水事業費の負担をも軽減するという一石二鳥の効果を狙つて多目的ダム方式が採用されたものであつて本件につき治水事業としての面を採り上げてみると後に詳述するような理由で本件事業の必要性は顕著であり、その合理性、可能性も充分肯定できるものであること、他方本件事業計画のうち発電に関する部分は事業認定がなされた当時においては未だ起業者の「見込」といつた域を出なかつたものと認定せざるを得ないとしても、発電事業を営む者(ダム使用権設定予定者)に擬せられていた九州電力が当時すでに本件両ダムにより発電事業を営む意思を起業者に対し表明していたことは本件事業認定申請書添附の意要書(乙第九号証)及び前示認定のダム使用権設定許可申請書(但し昭和三五年二月提出のもの)で明確になつているところであるから起業者の発電に関する計画は細部の数字(最大出力等発生電力に関する数値)は兎も角発電事業が行われるという点では一応の根拠を有していたものであつて、この「見込」はその後において実現の確実性を増しこそすれ減少はしていないこと、のみならずダム法第二七条は、同法第一七条によりダム使用権を設定する場合(建設費を負担したダム使用権設定予定者にダム完成後これを河川附属物と認定したとき直に設定する方法で、この場合に使用権設定予定者が納める金員は「負担金」と呼ばれている)のほかダムによる流水を利用することによつて得られる効用から算定した推定投資額を勘案して算出した「納付金」を納付してダム使用権の設定を受ける方法(この場合に納める金員は右のとおり「納付金」と呼ばれ前者と区別されている)も認められておりダム法第四条、第五条、第一七条と右第二七条とを対比するときは後者の納付金による使用権の設定は明に「使用権設定予定者」の道程を経ないで換言すれば建設費負担等建設に先立つ基本計画上には表示されることなく、ダム完成後にダム使用権を新に取得させる方法を規定したものと解されること斯る第二七条による方法は同法第四条、第五条がダム法の建て前であることからみれば例外的措置として己むを得ない事情がある場合に限つて適用すべきものと解するのが相当であるが、それにしても利水事業を営むことが予定されている者との間の基本計画上の諸事項に関する折衝が遅延しているときそれにつれて洪水調節事業としてのダム建設事業が停滞することは不測の損害を生じる惧れもあり、それかといつて治水専用ダムとして建設することにはダム法制定の趣旨にみられるような資源利用と建設費の軽減といつた利益をむざむざ放棄することになる点で水利行政の上からも批判の余地があるとすれば、起業者が主たる目的である洪水調節事業としてのダム建設が急を要すると判断した場合に後日特定用途の利水事業者との間で基本計画の内容となるべき事項について折衝がまとまつた上で多目的ダムとして発足させる含みでダム法第二七条による途を残しておくことも己むを得ない場合があるものと解すべく、同条を単にダム法施行時に建設中のダムを対象とした経過的措置を定めたものとのみ解すべき根拠はないから斯る措置に出ることも強ち違法なものとは考えられないことの諸点を考慮に入れるときは、本件事業計画のうち発電に関する部分が「計画」というほどには完備していなかつたこと(この点で本件事業計画が完全なものといえないこと)を肯定するとしてもこのことから当然に本件事業が法第二〇条各号の要件を欠いているものということはできないから基本計画の欠如を理由とする原告等の主張は本件の場合採用できない。
二、土地収用法第二〇条各号の要件の存否
(一) 法第二〇条は事業認定の要件として当該事業が同条一号ないし四号の要件に該当するものであることを要求するところ本件事業が同条一号の要件を充足することは原告等もこれを認めるところであり、ただ同条二号ないし四号の要件を具備するか否かにつき争いがあるのでこれにつき判断するに先立ち、まず斯る要件の存否に関する判断が被告の自由裁量に属することがらであるか否かにつき考える。法第二〇条は「申請に係る事業が左の各号のすべてに該当するときは事業の認定をすることができる」と規定しているところからみて事業が各号の要件をすべて具備していても当該事業につき認定をすると否とは被告の自由な裁量に委ねられていることは文理上疑う余地がない。しかしながらこのことと各号の要件を具備するか否かの判断とは別個のことがらであつて、これについてはさらに法文の形式・内容・趣旨等に照らしてそれが自由裁量に属するか否かを決すべきところ、二、三号の要件は事柄の性質上裁量の余地を含んではいるけれども事業の認定が収用権の発動という権力的行政行為の基礎となる一の処分であることに鑑みれば各要件を具備することを積極的に肯定するについては相当の合理的根拠に基くことを要するものと解すべく、さすればその判断は覇束されているものと解して妨げないものであるが、ただ四号の公益性に関する判断のみは本来行政の究極目的に関する事柄であるから一応行政庁の自由裁量に委ねられているものと解するのを相当とするけれども、それとても裁量の限界を逸脱し濫用にわたるときは違法になるものと解すべきであるから、本件においても斯る観点に立つて進んで事業の認定処分につき、右各号の要件を具備しているかどうかにつき判断を加える。
(二) 第二〇条三、四号の要件の存否
原告等は、本件事業計画は(1)治水計画の基礎である長谷地点の流量計算が過小である、(2)本件ダムを建設しただけでは起業者のうたう防災効果を生ぜず他方水没予定地は他にかけがえのない我が国有数の林業地であること、(3)本件起業地の地勢地質からみれば、起業者の計画にあるような高堰堤ダムの建設は難しいこと、(4)たとえ計画どおりダムが竣工したとしても堆砂のため所期の流水の貯留は不可能であること、(5)むしろダム堤体の決潰や溢水等に因る人工洪水を惹起する危険があること等の諸点を挙げ本事業計画が土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものと認められないのは勿論、公益上の必要性も認められないと主張するのでその主張を中心に順次本件事業計画が法第二〇条第三、四号の要件を欠くものか否かを検討する。
(1) 流量計算等について
いずれも成立に争いない甲第二七号証、第乙二号証、第四九号証、証人(省略)の各証言及び鑑定人高橋裕の鑑定結果を総合すると、原告主張のように(請求原因三(二)イ参照)起業者である建設省は昭和二八年洪水の痕跡を解析した結果長谷地点における粗度係数を〇、〇四五とし計画高水量八、五〇〇立方米/秒と決定するに至るまでには、粗度係数を〇、〇四〇としマンニング公式により最大洪水量を九、〇〇〇ないし一〇、〇〇〇立方米/秒と推定していたことがあり夜明ダム調査委員会が「昭和二九年四月発表した昭和二八年六月下旬水害に関する夜明ダム調査報告書」もこれに似た結論を出していることが認められる。(もつとも同報告書は洪水痕跡による最大流量の推定は夜明ダム附近の粗度係数を〇、〇三八としてマンニング公式を用い計算した結果であり、降雨量より算定した最大流量は約九、八〇〇立方米/秒と推定している。)このように洪水痕跡を解析しマンニング公式を適用する場合には粗度係数(n)のとり方如何で結果が区々となるからこれをいくらと定めるかは極めて難しい問題であるけれども前顕鑑定の結果によればマンニング公式は我が国はもとより欧米各国においても広く採用されているもので、流速公式は他にも多数提唱されてはいるもののマンニング公式が近似式として実測値とも比較的良く合い他にこれを凌ぐ定評ある公式もないことが認められるので起業者が流量計算に際してマンニング公式を採用したこと自体は一応妥当な態度とみるべく、粗度係数も精密な計算によつて導き出される数値とは異り経験的要素を多分に含むものであるからこれまた一義的に確定しかねるところがあり、流量計算には常に相当の誤差を含むものとして事に処するべきものとされる(鑑定人高橋裕の鑑定にこの点はとくに明らかである)従つて、粗度係数のとり方に前後多少の相違を示したからといつて直ちにその非を鳴らすのは必ずしも当を得たものではない。問題は起業者が最終的に〇、〇四五と粗度係数を定めた処置が合理的なものといい得るか否かに係つていると考えられるところ、前顕乙第四九号証及び同鑑定結果によれば起業者は昭和一八年六・七月及び同二八年九月から一二月にかけ、それぞれ長谷地点で低永流量観測を行つて粗度係数として〇、〇二六ないし〇、〇四二及び〇、〇三〇ないし〇、〇四九六を得ていたがこれらは流量が小さく或は勾配が緩なため計画高永流量算定に用いる資料としては当を得たものとは云えなかつたので、さらに昭和三〇年七月の洪水時に被告主張(二(二)(4)(イ)参照)のような方法で三日間にわたり前後二〇回の観測の結果〇、〇四ないし〇、〇五の間にあると考えられたので最終的には平均値をとつて〇、〇四五と決定したことが認定でき、前顕鑑定の結果によつても斯る経緯から起業者が当初採用していた〇、〇四〇の数値を〇、〇四五に変更し従つて流量の計算値が九、〇〇〇立方米/秒から八、五〇〇立方米/秒に変つた程度のことでは、測定上の誤差も考慮するならとくに咎め立てるほどの変更ではないことが認められる。
右に認定したとおり起業者が長谷地点の痕跡から計画高水流量を八、五〇〇立方米/秒と定めたことは一応相当な態度と認められ原告等主張のように甚しく過小であることを窺わせる的確な証拠はない。(なお右の流量計算は測定誤差を考慮し、実際の施工計画では、相当の余裕を持たせることが妥当であることは鑑定人高橋裕、同奥田穣の各鑑定意見に徴し明らかである。)また原告等は長谷地点の流量計算にマンニング公式を用いること自体の妥当性を疑問とするけれども鑑定人高橋裕自身が当法廷で供述したとおり絶体的に妥当する公式が発見されていない現在においては同公式を用い近似的な数値を求めることは一応妥当な態度と認められ、とくにこれを不当とするだけの心証は原告の全立証その他の証拠によつても得られないから所論は採用できない。また降雨量(雨積・雨量)から最大流量を推定する方法は最大雨量そのものが予知できにくいものである上に一般的にいつて未だマンニング公式による計算の結果を覆すだけの充分な精度を有するものでないことは前顕各鑑定の結果からこれを窺うことができるから、仮に原告等の主張するように五時間ではなく四時間の連続雨量の平均値をとるのが妥当であつたとしてもそのことの故に前示方法により決定した計画高永流量の妥当性を覆すには至らないし、さらに言えば二八年洪水の実際が八、五〇〇立方米/秒を越えていたとしても後記認定のとおり本件両ダムが八、五〇〇立方米/秒までの高永に対して有効な事実にはいささかのゆるぎもないから他にダムを増設する必要が生じるのは格別、このことの故に直ちに本件事業計画が第三、四号の要件を欠くものとすることは早計である。(もつとも鑑定人赤岩勝美は長谷の最大流量を七、〇〇〇立方米/秒と鑑定し成立に争いない甲第三一号証、証人吉岡金市の証言等にはこれと同様の見解が見えるけれども、右の鑑定理由ではその数値の正当性を首肯させるだけの具体性を備えず、かえつて前顕流量計算に引用した各証拠にあらわれた諸種の流量数値と比較するときは右の見解を正当とする根拠に乏しく、他に前示認定の結果を覆し右数値を正当とすべき証拠はない。)
(2) 防災効果等について
(イ) 被告は本件ダムにより二、五〇〇立方米/秒の洪水調節ができるならば昭和三〇年の物価に換算して年平均約二八億円の災害を防除できると主張するけれども原告等が指摘するように右災害額算定の根拠とした別紙災害額一覧表は昭和二〇年から昭和三〇年に至る一一ケ年の統計にすぎないところ右期間中には被告の主張によつても百年に一回程度しか起り得ない大洪水が含まれているのであるから右一一ケ年の算術平均をそのまま引用したことは、よしんばダムによる防災効果と河道改修による防災効果の比率そのものは正しいとしても防災効果をかなり過大に評価させる結果となつていることは明らかである。もつともそうだからといつて原告等の主張するように防災効果は年平均二億八千万円にすぎないものと断定することもできないわけである。けだしいずれにしても百年の有効寿命(経過年数)を予定して建設されるダムであつてみれば僅に一一ケ年の災害統計をそのまま使用することは計算の結果に対する信頼度を著しく低下させるものでありまして百年の間には八、五〇〇立方米/秒までには至らないとしても六、〇〇〇立方米/秒を越える高水(河道改修によつても処理できない規模の高水)の可能性も考えねばならず、また鑑定人奥田穣の鑑定によれば理論上は二八年洪水と同規模の高水が起る確率は五七年に一回程度と計算されるからこの結果を斟酌すれば年平均防災額は百分の一の確率で計算した場合よりもかなり増加することは明らかだからである。さらに附言すれば洪水調節の効果は単に財産の毀滅を防ぐのみでなく流域住民の生活を安定させ貴重な人命を水禍から護る点にも求められるべきであつて、これを単純に財産的損害の観点からのみとらえることは公共事業の評価として正当な態度とは云えない。
このように被告の主張する年平均災害防除額がそのまま適正妥当な数値とは認め難いところもあるけれども理論的にみて原告等の主張する防災効果以上のものが期待できることは明らかであるから、本件ダムのため失われる約四平方粁の土地(前顕乙第九号証によれば起業地総面積は四・〇三七平方粁/、そのうち湛水面積は松原ダムが一・九平方粁、下筌ダムが二・〇平方粁)の効用を考慮してもなお本件事業計画は土地の適正かつ合理的な利用に寄与し、公益上の必要性があるものと判断され、原告等のようにこれを否定すべきものとは未だ認め難いから、その点において本件事業の認定処分を無効もしくは違法ならしめる事由とは認められない。
(ロ) 原告等は前掲災害額一覧表をひいて洪水による災害額と長谷における流量との相関度は低く水害防除にはダムの建設よりもむしろ筑後川の中下流河道及び附属施設の改修補強工事や高潮対策さらには流木による災害を防止する等の諸事業が緊急かつ適切な措置であると主張する。
なるほど先にも触れたように本件事業計画の基礎にある筑後川水系治水基本計画附属調書(乙第四九号証)によれば長谷地点の流量六、〇〇〇立方米/秒までの洪水は河道改修により充分疎通せしめ得るように起業者の治水基本計画は立案されているところ、別紙流量被害額一覧表の記載自体から明らかなように六、〇〇〇立方米/秒を突破するような大高水は稀であり、それ以下の規模の高水の起る度合が遙に大きいことは容易に推測されるが、これまでのところ、この程度の洪水でも相当の被害をもたらしてきたことが右表に示されているから、六、〇〇〇立方米/秒の完全な疎通を図る中下流対策(高潮対策も含めて)が必要不可欠でありかつ緊急を要することは疑う余地がなく、確率的な見方をすればより頻度の高い六、〇〇〇立方米未満の高水に対処する事業の方が緊急度も高いことはまさに原告等の指摘するとおりである。
しかしながら先にも判断したとおり六、〇〇〇立方米/秒を越える高水が発生する可能性があるかぎりは、起業者のいう筑後川水系治水基本計画に従つて河道の疎通能力を越える高水を処理するため洪水調節ダムを建設する必要性は依然として存在するものであり、よしんば八、五〇〇立方米/秒の高水の確率が被告の主張するような値ではないとしても六、〇〇立方米/秒を越え八、五〇〇立方米/秒に至らない程度の高水の出る可能性も治水対策として充分考慮に入れなければならないから、単に六、〇〇〇立方米/秒の疎通を図る河道改修工事の方がそれを越える規模の高水対策であるダム建設事業より理論的にみて緊急度が高いのにその点の適切な対策を考えないで本件ダム建設を急ぐのが不当だということだけでは未だ本件事業認定を無効ないし違法ならしめる事由とは云えない。けだし本件ダムが洪水調節の機能を有しないのであれば格別、そうでないかぎりたとえ治水事業に振り向けられる国家予算には事実上一定の限界があるからといつて、その使途ひいては治水計画の実施方法、施工順序等に関する判断のごときは本来所管行政庁の裁量に委ねられている事柄であつて、しかも本件において河道改修工事等が必ずしも順調に進行しているものではないけれども、失念されているわけでもなく、ダム建設と平行して工事が進められる計画であることは検証の結果、証人(省略)の各証言及びいずれも成立に争いない乙第二号証、第三一号証、第四九ないし第五一号証により明らかであり、これを左右するに足る証拠はなく、他に本件事業の認定処分をもつて裁量権の濫用と目すべき具体的事情を認めるに足る証拠もないから結局原告等の右主張はこれを採用することができない。
(ハ) さらに原告等は二、五〇〇立方米/秒の調節ダムを建設する必要があると仮定しても松原、下筌といずれも大山川筋に二ケ所のダムサイトを選定することは不合理であり、むしろ大山川、玖珠川筋に各一ケ所を選定するのが計画として合理性があると主張するので、これについて検討する。
長谷地点における計画高水流量を八、五〇〇立方米/秒とした場合に、上流の大山川、玖珠川の合流点における流量配分は、乙第四九号証(筑後川水系治水基本計画附属調書)によると大山川四、三〇〇立方米/秒、玖珠川三、五〇〇立方米/秒と推定されている。(この数値自体については特に反対の証拠もない)そうすると両河川の流量には大差がないから二、五〇〇立方米/秒という所要の調節効果を挙げるために、できれば各川筋に一ケ所以上のダムサイトを選定するのが常識的措置であり、現に前顕乙第四九号証(とくに第五章第三節の流量配分計画とその図第五―六「流量配分と事業費」)及び証人(省略)の証言によれば起業者自身も昭和三二年二月当時は、大山川筋では松原を予定し、他のダムは玖珠川筋に設置すべく適地を物色していた事実を窺い知ることができる。
而して右証言、書証及びこれに添附の参考資料Ⅴ「上流ダム地点の検討」を総合すると起業者は玖珠川筋では猪牟田、竜門、大山川筋では松原以外に久世畑、下筌、簗瀬を候補地とし特に松原、久世畑は他の地点に先んじて詳細な調査を進めてきたことが調定できる。それにもかかわらず玖珠川筋の候補地がいずれも不採用に終つた理由は、前顕乙第四九号証(特に参考資料Ⅵ、Ⅴ)証人(省略) の証言、当裁判所の検証の結果(特に〔21〕猪牟田、〔22〕千町無田の項)及び弁論の全趣旨(特に三五年八月一八日附準備書面添附の調査結果の一覧表)を総合すると次のような事情が判明したからであることが認められる。すなわち猪牟田は地形及び堆砂の関係で松原ダム(調節量一、六七〇立方米/秒)と組み合わせるに必要な有効貯水容量をとり得ずその洪水調節量は僅か三〇〇立方米/秒にすぎないこと、竜門も地質上漏水の惧れが大であるのみならず有効貯水容量は小さく、集水面積も狭少なため計画流量自体が三七〇立方米/秒にとどまり洪水調節効果は僅に三二〇立方米/秒と見込まれること、そのほか玖珠川筋では地形上から地蔵原、千町無田、鋳物師釣、下榎釣の四地点が検討の対象となつたけれども、前二者は集水面積が狭少なため(鑑定人伊藤剛の鑑定の結果によれば千町無田の流域面積は玖珠川の流域面積の八・二%にすぎず洪水調節効果は殆ど期待できないことが認められる)また鋳物師釣は有効貯水容量が僅少なため、下榎釣は集水面積の広い割に有効貯水容量がそれに応じた大きさを有しないためいずれも所要の洪水調節効果を得られないことが判明したこと(それぞれの調節量は順次、二一五・三四〇・一八〇・五五〇・各立方米/秒)なお下榎釣については国鉄久大線の水没補償が巨額に上ることも理由の一となつて結局昭和三二年二月筑後川水系治水基本計画附属調書が作成された時にはいずれも候補から除外されていた(右の難点は松原ダムとの組み合わせの代りに下筌ダムとの組み合わせを想定しても増大こそすれ解消はしないことは、下筌ダムの洪水調節量が松原ダムのそれよりも小さいことから明らかである)ことがそれぞれ認定できる。
加うるに前掲準備書面添附の建設省の調査結果の一覧表及び鑑定人伊藤剛の鑑定結果中、有効貯水量当りの建設費(第3〜1表)によれば下筌ダムに匹敵する調節量を玖珠川筋から得るためには前掲各地点の中から最小限四ケ所を選定しなければならずその建設費の合計は、概算しても下筌ダム建設費の二倍以上となることが認められる(この結論を左右する証拠はない)そうすると起業者が玖珠川筋の各候補地を放棄したことには一応もつともな理由があつたものと見るべきでであるが、それでは本件事業計画のように同一川筋に所要の調節量を有する二個のダムを設置した場合、実際にも洪水調節の効果を挙げ得るものであるか否かが吟味されなければならない。なぜなら、鑑定人奥田穣の鑑定結果中にも二八年六月の豪雨を生んだ降雨群中のいくつかは玖珠川流域に集中降雨をもたらし大山川流域には少かつた例を認めており、鑑定人矢野勝正、同本間仁の共同鑑定の結果(特に第四章「降雨型の影響に関する検討」の4〜2「雨量の地域的分布」)中にも台風期(二八年洪水は梅雨期)ではあるけれども、玖珠川流域に偏した降雨例を確認しており、一般的にいつても鑑定人佐藤武夫の鑑定結果中に引用されているように、下流域の局所豪雨のため洪水調節の機能を果し得なかつた鎧畑ダム(秋田県雄物川)の例にみるまでもなく、降雨現象、流出機構の科学的解明・把握が充分できていない現状にあつては洪水調節ダムの位置の選定は(上流部にしか適地がない場合にはとくに)容易な業でないことは公知の事実である。
いま本件についてこれをみるに下筌松原両ダムの流域面積合計を四九一平方粁(イ)、大山川の流域面積を五八五平方粁(ロ)、長谷の流域面積を一、三六二平方粁(ハ)とする(これら数値は本件証拠資料中相互に多少の差異があるが、大差はないので乙第九号証、第四九号証を総合して採用する)と長谷地点における比流量に換算して七立方米/秒/平方粁を越える降雨が大山川残流域(すなわちロからイを除いた下筌松原ダムの下流域)玖珠川流域及び両河川合流点から長谷に至る流域(高瀬川、花月川、大肥川のいわゆる下流三支川流域を含むもので、結局ハからロを除いた流域)にもたらされると下筌、松原ダムの調節効果がいかようであろうとも長谷の流量は六、〇〇〇立方米/秒を突破することが計算上明らかであるところ、鑑定人矢野勝正、同本間仁の共同鑑定の結果によると昭和二八年六月洪水の時ですら長谷の比流量は五、九〇立方米/秒/平方粁であり、乙第四九号証によると六、二三立方米/秒/平方粁と推定される余地もあるから、同じ規模の豪雨が襲来しその降雨群の多くが玖珠川流域及びその下流の長谷にかけて、集中的な降雨をもたらすときは長谷の比流量が右の限界を突破するおそれも考えられ、少くもその可能性を全く否定することはできないものとみるべきである。(因に右共同鑑定の結果によれば当時の松原の比流量は、約七、七五、玖珠川筋の天ケ瀬は六、五八と推定されている。)観点を変えて言うと昭和二八年洪水の際大山川残流域、玖珠川流域及び合流点から長谷に至る流域合計八七一平方粁の降雨からは長谷の流量に換算して四、五〇〇立方米/秒の流量があつたものと推定されるから(乙第四九号証115頁流量配分図参照)右の流域に対する降雨がさらに増加し長谷の流量に換算して一、五〇〇立方米/秒以上が附加されるときは、松原下筌ダムの有無にかかわりなく長谷の流量は六、〇〇〇立方米/秒を突破することは計数上明白であり、いわんや前示共同鑑定の結果に示されたように高瀬、花月、大肥の三支川の合流量が過小評価されている嫌があるとすれば、右のようにして六、〇〇〇立方米/秒を突破する可能性はより大きいものとみることができる。
これを要するに計画対象高水量の決定にあたり昭和二八年洪水に拠つたこと自体は妥当な方法であり、長谷地点のそれを八、五〇〇立方米/秒としたことも正当であるとしても流域の雨量分布、換言すれば合流量の配分までも二八年洪水当時のそれに従つて調節計画を立案することが科学的にみて充分に正当な方法であるとは未だ断定できないわけであり、長谷地点の流量では二八年洪水と同一であつても流域別の流量配分ではこれと異る数値を示す場合も充分予想されるところであり、統計的にみて二八年洪水の際の流量配分値が妥当なものであることを示す的確な資料は顕出されていない。(もつとも前示共同鑑定の結果中には二八年六月の降雨例から試算して最悪の場合でも調節後の長谷の流量が六、〇〇〇立方米/秒を越えることはないとの結論が示されているけれども、それは玖珠川の最大高水量の実測値が三、六一〇立方米/秒であることを前提としたものにすぎず、ここで問題としたように右の流量配分が将来の降雨においても妥当するかどうかは検討されていないから、その試算の結果も先に述べた疑問を氷解せしめるものではない。)
しかも鑑定人奥田穣の鑑定結果によれば二八年洪水をもたらした降雨群の移動経路は当時の梅雨前線の移動状況とほぼ一致しており、将来、このような前線性降雨が大山川水系により多く集中するか玖珠川水系に集中する確率が多いかは気象学上も極めて微妙な判断に属する事柄であることが窺われるから、この点を考慮すると治水計画の立案にあたつては一層精密な観測網の整備を必要とする反面、計画に相当の余裕をもたせなければ万全を期し難いものであることが認められ、他に筑後川上流域の降雨現象、流出機構が充分に解明され将来の豪雨がほぼ二八年洪水の際と類似した流量配分を示すであろうことを確実に推測せしめるような資料は現在の状態では期待できないことが窺われる。そうとすれば年超過確率百分の一というような大洪水まで想定して治水計画を立案する立場からは、当然のことながら玖珠川筋にも相当の洪水調節ダムを設置するのが万全の対策であることは他言を要しないところでありその限りでは原告等の主張にも首肯すべきところがある。(もつとも斯る懸念は、玖珠川と大山川の合流点以下で二、五〇〇立方米/秒を調節できるダムサイトを見出し得れば一切解消するわけであるが、検証の結果によるとそのような適地を求めることは困難なことが認められる)
しかしながらこのことから本件事業計画の内容となつた松原、下筌ダムの建設が不用に帰するものとは解されない。
すなわち鑑定人奥田穣の当法廷における供述によれば、二八年六月のような洪水を生んだ梅雨期の豪雨は性質上流域公域にわたる激しい降雨現象の結果であつて、斯る性質の豪雨は、玖珠川流域だけに集中的な降雨をもたらし、大山川流域の流量には殆んど影響を与えないといつた極端に偏つた雨量分布を呈する確率は非常に小さいことが認められるし、本件各資料に照らしても両流域の気象条件に格別の差異が存在するものとは認められず、かえつて両流域が相接し地勢上もとり立てて区別すべき点のないことは公知の事実であるから、気象条件はほぼ類似するものと推定されるところ、前述のとおり二八年洪水のような稀にみる大規模出水の際の流量配分に関する統計的資料は極めて不十分であつてみれば、治水計画の立案にあたつて流量配分の点でも一応二八年洪水の際の数値を基礎とすることは、已むを得ない措置であり、これを非難する理由はない。而して前に挙げたとおり玖珠川筋のダム候補地はいずれも調節効果が貧弱でありその最大のものから順次下榎釣、千町無田、竜門と三地点を選んできてもその合計はなお下筌ダム一個の調節量一、三五〇立方米/秒に及ばず、しかも建設費の点では下筌ダムに匹敵する調節量を得るためには玖珠川筋に四個所のダムを要し合計額は下筌ダムのそれの二倍を越えることが推算されているとすると、治水計画に充分な余裕を与えるという見地からは必ずしも遺漏なしとしないが、限りある国家予算の中で所期の調節量が得られる地点として松原、下筌の二個所を起業地に選定したことはむしろ相当とみるべく、最少の費用で必要な効果をあげるという見地からみれば右二地点のみを取り上げた本件事業計画は已むを得ないものというべきである。
右の判断を覆し、本件事業計画を無益、無効なものとする原告等の主張はこれを首肯せしむるに足る的確な資料に乏しい。もとより治水に万全を期するときは、本件事業計画のみをもつて二、五〇〇立方米/秒を調節する計画は、いわゆる余裕に乏しく、予算の制約がなければこのうえさらに玖珠川水系にも相当程度の洪水調節ダムを設置することが望ましいことは既に指摘したとおりであり、そのダムは極端に異常偏頗な降雨に対処する一種の安全弁であるから必ずしも下筌ダムに匹敵する容量であることを要しないであろうし、これを設置したとしてもその建設費が下筌ダムのそれを越えなければ依然として経費節減の目的は果されたことになる(けだし、下筌ダムを取り止めて玖珠川筋に同一調節量を求めるときは下筌ダム建設費の二倍以上の費用を要する)けれども、斯るダムの設置が望ましいからといつて、本件事業計画が無効無益なものとなる筋合ではないから、国家予算の合理的使用の見地から所要調節量を得るため松原、下筌の二地点をダム建設地点として選定した本件事業の設定処分を無効もしくは違法ならしめるものと解すべきではない。
(3) ダムサイトの地質
原告等は、起業者が久世畑地点については入念な地質調査を行いながら松原、下筌の両地点とくに後者については原告等の反対が強硬で立入調査が難しいとみるや先ず収用権の設定を受け然る後調査をしようと図り満足な地質調査をしないでおいてダムの建設が地質上可能であるように見せかけて事業の設定を受けたものであると非難し、松原、下筌ともにダムサイトとしては地質上重大な欠陥を有するのにこれをダムサイトに選定し、久世畑地点を放棄したのは不合理であると争うので、その主張の当否につき判断する。
先ず本件事業の認定がなされた当時、松原、下筌の両ダムについて具体的な実施設計ができていなかつたことは被告も明に争わないところであり、実施設計の前提となる五百分の一の地質図も松原地点のみ作成され、下筌地点については未だ作成されていなかつたこと(下筌地点は五千分の一の地質図が作成された段階である。なお久世畑地点は五百分の一地質図が作成されていた)とくに下筌地点の右岸側の地質に至つては昭和二九年に起業者の依頼を受けた九州大学の山口勝等が地表踏査を一回行つた程度で現在のところ推定に頼る部分が多いことはいずれも成立に争いない乙第三三号証の一ないし六、第四二号証の一、二、第四二号証、証人(省略)の各証言及び弁論の全趣旨を総合してこれを認め得るところであるが、このように下筌ダムサイトとくにその右岸のいわゆる蜂の巣城一帯の地質調査が充分でない理由は、原告室原を中心とする熊本県側の水没予定地の居住者が一致結束して私有地への起業者側職員の立入、試掘、試錐を妨げてきたためであることはいずれも成立に争いない甲第一ないし第一三号証、第二四号証、乙第五ないし第八号証、原告室原知幸本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨に徴して明らかである。
(イ) 起業者の地質調査
そこで起業者のなした地質調査につき検討するに、先ず鑑定人小野寺透の鑑定結果及びその当法廷における供述を総合すると、一般に一の水系にダムを建設する計画が樹てられ設計施工されるまでには概ね次のような段階を経るものであること、すなわち
1、地形上幾つかの候補地点を選定する。
2、候補地点の地質上の優劣を判定するため第一次段階の予備地質調査を行う。(この調査は主として地形、地質を予察調査と現地踏査から行うか補助的にボーリング、表土掘削、調査坑を併用することもあり、湛水地域とその周縁部まで調査する。)
3、さらに水理その他の調査結果も総合してダムサイト予定地点を決定する。
4、3で選ばれた予定地点についてダムの高さを再検討しダム、工事用施設の位置の地質の大要、骨材地点の予定をたてるに必要な地質を知るため第二次段階の地質調査を行う。(この調査は主として地質踏査、機械的調査によるが必要に応じて物理調査も行う。遅くともこの段階では候補地点の取捨選択は完了するのが通常である。)
5、ダムの型式、設計案がこの時までには出来上るからその決定及び中心線を定めさらにダムの位置、工事用施設の位置、骨材地点、余水吐き地点等の各部の地質状態の細部を把握するための第三次段階の地質調査を行う。(この調査は主として岩盤調査であり、これ以後の調査はすでに把握された地質構造にもとずきさらに地質の土木工学的性質を知り具体的設計の資料を得ることを目的とするので機械的調査が主となり、地質調査、支持力試験、細部弾性波探査及び各種の室内試験を併用する。これらの第三次調査とダムの水理、構造実験などから設計施工の全体系が決定される。)
6、施工、なお施工中も必要に応じて地質調査を続け判明した細部の地質状態に応じて設計の訂正、岩盤の局部処理などに関する調査を続ける。
7、竣工後も透水、変形の調査を続行する。
といつた段階を経るのが通常であるところ、純粋に地質学的な立場からいえば5の第三次段階の調査が終つてから具体的な施工計画が定められるのが理想であるが国の事業では通常4の段階までで「調査費」による作業は打ち切りとなり5以後は工事費の段階になること、本件の場合は、松原下筌両地点で調査方法については多少の差異があるようではあるが一応いずれも4の段階まで調査が進んでいたことがそれぞれ認定できる。鑑定人小出博の当法廷における供述によつても右に認定した七段階の区分は相当なものであることが認められ、他にこれに反する証拠はない。(なお鑑定人郷原保真、同小出博共同鑑定の結果中でも調査費による調査すなわち事前調査と着工後の調査費との割合を六例につき検討した結果平均して地質調査費の約三四%に相当するものが事前調査の段階で、残る約六六%は着工後の調査で費されていることが明にされている。)ところで事業の認定の本質は、当該事業が公用徴収権を取得させるに値するだけの公益性を有し事業計画が土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものであるか否かの判断にあつて、事業認定申請書に添附すべき書類(主として事業計画書)も斯る判断をなし得べき程度であれば足り、事業認定の段階では必ずしも具体的な実施設計の技術的当否まで判断すべき限りではないものと解するのが相当である。(土地収用法第二条もこれと矛盾するものではなく、むしろ事業計画は実施設計とは異りそれ以前のより概括的なプランの段階を指しているものと解される。この点は土地収用法施行規則第三条第二号ロにおいて事業認定の申請当時は収用し又は使用しようとする土地の区域が明らかになつていないことも予想している点からも窺い得る。)それゆえ、事業認定の申請にあたつては慎重を期する意味で、できるだけ詳細な調査を済ましておくことが望ましい(前示郷原、小出共同鑑定の結果中にも指摘されているように事前調査の不備が工事計画の変更を招いた例もある)けれども、もともと実施設計の段階(前示5の段階に相当する)において必要となる五百分の一の地質図が作成されていなかつたからといつて当然に本件事業認定を違法ならしめる手続上の不備があるものとは認められず、かえつて前示のように一応4の段階程度まで調査が進んでいたことが認められるのであるから原告等のこの点に関する非難は未だ採用するに足らない。
なお土地収用法第一一条、第一四条等の事業の準備行為は、電力ダムを建設する場合には通常行われている手続であることは成立に争いない甲第二三号証から窺い得るところであるが、法律上は事業認定申請に先立ち必ず実施しなければならない性質のものではないから本件のように原告等の所為により予定地への立入、試掘、試錐が妨害されたとしても結局事業計画を樹てるに充分な資料が存在するならばこれにより事業の認定を申請するも違法ではなく同法第二〇条の事業認定の要件の存否が判断できると認められる以上、同法にいう準備行為を省略したことも敢えて非難するに当らない。
(ロ) 松原、下筌ダムの地質的欠陥
原告等は起業者が久世畑地点を地質上の欠陥を理由に放棄し松原、下筌の両地点をダムサイトに決定したことに対し、反対に松原、下筌地点の地質的欠陥の方がより重大であると批判する。
ところで鑑定人郷原保真、同小出博、同伊藤剛、同小野寺透、同松本唯一(その一部)の各鑑定(郷原、小出は共同鑑定)の結果及び各鑑定人の供述を総合すると筑後川上流域の各ダムサイト候補地はいずれも大なり小なり、土木工学の観点からみて難点があることが認められ、とくに松原、下筌、久世畑はいずれも熔結凝灰岩地帯に高堰堤ダムを建設しようとするため土木技術上極めて難しい工事に属するものであること(一般に日本のダムサイトの岩盤はイタリー等と比較してかなり条件が劣つているものであること)しかしながら土木技術の進歩によつてかつては高堰堤ダムは不可能とされていた火山地帯でも条件如何によつては次第に高堰堤ダムの建設が可能となり、従前なら地質上の難点を理由に顧みられなかつた地点も再考される余地を生じ、技術及び経済性とのかね合いで取捨選択されるようになつてきたこと。そのようなわけで経済性を度外視するならば地質上の理由のみでダム建設を不可能とするような地点は本件各候補地に関する限り存在しないことが認められ、鑑定人松本唯一の鑑定結果もこの結論を左右するものでない。そして、前示各鑑定の結果及び各鑑定人の供述ならびに証人(省略)の各証言によれば、本事業認定の対象となつた松原地点は、前示のように一般的な問題としては地質上の難点とくに漏水の危険、ダムサイト附近の断層、岩盤の強度等について施工上慎重に考慮しなければならない点が存するけれども、下筌及び久世畑のダムサイト予定地と比較すれば、ダムサイトの地質として不安定な因子は質的もしくは量的に最も少ない場所であることが認められる。
これにひきかえ、下筌ダムサイトは、地形を概観したところでは、アーチダムが可能な地点のように見えるけれども基礎岩盤は地質的に外見ほど均一単純ではなく、鑑定人伊藤剛も指摘するとおり、重力式ダム以上に岩盤の堅硬を要するアーチダムの基礎としては強度が不十分であり、特殊なグラウト注入か、コンクリートによる置換を要することも考えられ、弾性波試験及び漏水テストの結果を考慮すれば岩盤中に不良部分が存在することが推測され、左岸に限つても相当透水性に富んでいることが認められるので特殊な工法(デンタルワーク)もしくは特殊なグラウト注入工事を行なう必要がある等アーチダムの計画は今後の詳細な応力試験、模型試験等の結果を斟酌してなお慎重に検討しなければならないし、その実施設計までには十分な地質調査を要すること、また鑑定人小野寺透、同郷原保真、同小出博の各鑑定結果及び尋問の結果によれば、下筌ダム貯水予定地域には温泉変質作用が現われ、それによる地すべりもあつたことがそれぞれ明にされている。しかしながら、このような地質上の難点は技術上克服し得ない性質のものではなく、また温泉変質地の地辷りの可能性も貯水容量からみて、特に難点にまで数え挙げるまでのことも考えられないことは鑑定人伊藤剛、同小野寺透の各鑑定結果、同各供述及び証人山口勝、同芥川真知の各証言から明らかにされているところである。鑑定人郷原保真、同小出博共同鑑定の結果中には、下筌地点の温泉変質作用の範囲、程度をもつと重視するのが相当であるとするもののように解せられる部分もあるが、これによつても、右の結論が左右されるとは解されないし、他に以上の判断を覆すべき証拠はない。
同様のことは久世畑地点についても認められるところであつて、鑑定人小野寺逮、同伊藤剛、同松本唯一の各鑑定結果、同各尋問の結果及び証人山口勝、同芥川真知の各証言を総合すれば、流域面積において最も広く、且つ同地点一ケ所で二、五〇〇立法米/秒の調節量が得られる点で管理操作上の便宜もありダムサイト候補地としては最も望みをかけられ、地質調査もかなり進んでいたところであるが、松原、下筌と同様、基礎岩盤は節理が発達しグラウトの必要があり、またダムサイト附近に断層が存在していること、また膨潤性粘土鉱物を散見するほか透水性の礫層による漏水の危険があるほか、特に久世畑地点の地質上の難点として、ダム堤軸を横切り流心方向に走る断層の存在が推定されるが、堤軸を横切る断層の処理は技術的な困難を伴なうこと、また河床の下部基盤(いわゆる恵良熔岩)と上部基盤(いわゆる久世畑熔岩)の間に傾斜のある赤色の凝灰岩の存在がボーリングの結果確認されておりその層厚は四・五米に及び、載荷力に不安があること、もつともこの層とその上部の岩盤をコンクリートで置き換える方法が考えられるけれども、かなり広く分布しているとみられるのでそのための費用が著しく蒿むと予想されることが指摘される。鑑定人郷原保真、同小出博共同鑑定の結果も未だ右の判断を覆すものではなく、他にこれを左右すべき証拠はない。
以上認定したように、下筌といい久世畑といつてもそれぞれ地質上の難点があり高堰堤ダムを建設することは必ずしも容易でないことが窺われるけれども、斯る地質上の難点は高堰堤ダムの設計を絶対的に不可能ならしめるものとは解し難く、この点は鑑定人小野寺透、同郷原保真、同小出博の鑑定意見にも明にされているところである。なお、その他の候補地点の中、玖珠川筋の六ケ所(地蔵原、千町無田、猪牟田、鋳物師鈞、竜門、下榎鈞)についても、地質上とくにダムの建設を不能ならしめる因子があるとは認められないけれども、すでに判断したように、二、五〇〇立法米/秒の所要調節量を得るには不充分であり、大山川筋の他の二ケ所(二俣、簗瀬)も、松原、下筌を放棄してこれに切り換えるのを相当とするほど地質及び容量、調節量の各観点において卓越しているものではないことが検証の結果及び前記各鑑定人の鑑定の結果から認められる。
そうすると、純地質学的な見地からは、松原、下筌の両地点に洪水調節ダムを建設することも強ち不合理とは云えず、問題は経済性及び工事技術上の安全性(換言すれば工事の難易)をも総合して治水利水政策の観点から判断すべきことがらとみなければならない。ところで鑑定人郷原保真、同小出博も認めるごとく、久世畑ダムの効率は九四・四で下筌ダムの一九七・四(一九二・四は誤記と認める)松原ダムの一三八・一に比較し相当に低い)もつともこれら数値は概算に基くものであるからその差が僅少であればこのように言うことはできないけれども、上に掲げた数値からは一応このように言えるし、基礎岩盤の補強、漏水防止工事等の必要性は下筌よりむしろ久世畑により大きいと認められるのでこの点を考慮しても、下筌と久世畑の順位が転倒する可能性は考え難い。)次に、鑑定人伊藤剛の鑑定結果中に引用されているように、有効貯水量当りの建設量は、下筌一一一円、松原一二六円、久世畑一六六円となることが試算の結果判明しているが(なおその他の地点は、二俣三一一円、簗瀬二一五円、地蔵原二一三円、千町無田一七〇円、猪牟田六〇三円、鋳物師釣一、九一七円、竜門二七九円、下榎釣二、三九八円であり、千町無田を除けば経済性の観点からもその他の地点が劣つていることが判る)久世畑の建設費が蒿む理由は、下筌、松原に比較し水没補償物件が多いことにある。(この点は鑑定人郷原、同小出の鑑定書中でも数字の内容は別として一応認められている。)さらには、右郷原、小出の共同鑑定書に指摘されているように、発電効果の点からみれば、松原、下筌ダムによる方が久世畑ダムによる場合に比較して遙かに有利であることが窺われるから多目的ダム法制定の趣旨に照らせば松原、下筌地点を選択するのが合理的である。(なおこの点については別の観点から後に重ねて判断する)
右に挙げた諸点を考慮すれば、本来ダムサイトの選定といつた事柄は所管行政庁の裁量に親しむ余地の大きいことがらであるがその点は暫らくおいてもダムの管理操作上多少の不便は免れないとしても、久世畑の代わりに、松原、下筌の二ケ所にダムサイトを求めたことにも相当の合理的な根拠があるものと認められ、他に右の認定を左右する格別の証拠もないから、本件事業計画が土地収用法第二〇条、第三、四号の要件を欠いているものとする原告等の非難は、右の選定を不当とするかぎりにおいて失当である。
(4) 堆砂
治水、利水計画の必要上、ダムを建設し流水を貯留するについては、堆砂による有効貯水容量の減少という問題したがつて河川砂防の問題を常に考慮する必要のあることはまさに原告等の指摘するとおりである。
(イ) 滞砂量の考慮
しかしながらこの問題については起業者においても既に検討済であることはその事業計画書の記載からも看取されるところであつて、乙第九号証の「貯水池の諸元」を示した表によれば滞砂量として松原ダム七、五〇〇、〇〇〇立方米、下筌ダム七、〇〇〇、〇〇〇立方米が計上されており、有効貯水量は総貯水容量からこの滞砂量を控除してそれぞれ表示されており、滞砂位の標高は、松原ダム二三六米、下筌ダム二九〇米と計算されている。なお右滞砂量は年平均流出土砂量を松原ダム二四〇立方米/平方粁、下筌ダム三七〇立方米/平方粁と見積つて概算したものであることは証人野島虎治の証言及び鑑定人本間仁、同矢野勝正の共同鑑定の結果から明らかである。なお、原告等は堆砂率が事業計画に明示されていないように主張するけれども、滞砂量と流域面積とダムの有効寿命(計画年数すなわち本件では百年に一回の洪水を対象とする計画であるから百年)から計算されるから、敢えて明示されなければならないわけのものではない。
(ロ) 堆砂率
原告等はさらに堆砂率の根拠が明示されていないと非難するけれども、事業の認定の申請にあたつては常にあらゆる数値についてそのよつてきた根拠を示す資料を添附しなければならないものではなく、仮に斯る資料があるとすれば、それは土地収用法施行規則第三条にいう事業計画書の参考書類にすぎないところ、(参考書類を添附しなかつたからといつて、土地収用法第一九条にいう方式上の瑕疵に該るものでないことは既に判断したとおりであるが)本件の場合は、松原、下筌地点の堆砂実測資料も存在しないことは、証人(省略)の証言から明らかである。しかも鑑定人本間仁、同矢野勝正共同鑑定の結果、同各供述の結果、証人(省略)の証言及び成立に争いない乙第五二号証を総合しても、右堆砂率の推定が明に不当であるとは認められない。すなわち、これらの証拠を総合すれば、堆砂率は河川により著しい差異があり、同一河川でも流域の変化に応じて(換言すれば測定地点を異にすることにより)差異を生じ、また年間堆砂量も降雨量、豪雨の規模等で相当左右され、未だ学界の定説となるような算定方式はなく、結局のところ流況等の近似する地点の実測値を参考にするのが最も適当な方法であること、これを本件についていえば、津江川上流(すなわち下筌ダム上流)の鯛生調整池(津江ダム)、筑後川の夜明ダムについてそれぞれ実測資料があり、前者は昭和二六年七月から昭和三一年六月までの平均で一六二立方米/平方粁/年、後者は昭和二九年八月から昭和三三年一月までの平均で一八一立方米/平方粁/年であること、このうちどちらかと云えば鯛生調整池の方が参考になることが認められる。もつとも、右共同鑑定の結果中には、堆砂率を三〇〇ないし四〇〇立方米/平方粁/年とするのが相当であるとの見解を表明しているけれども、同鑑定に従事した矢野勝正尋問の結果で明らかなように、日本のダムの算術平均値が大体三五〇となるところから、筑後川上流域が日本の平均的な河川よりは荒れていないことも考慮に入れて到達した数値であつて、具体的な下筌、松原ダムの数値としては極めて根拠のない漠然としたものであるから、これをもつて直ちに本事業計画中の堆砂率を不当と判定するわけにはいかずかえつて鯛生調整池の実測値に照らせば、松原ダムの数値も強ち不当とは言えないけれども、(下筌ダムの場合は右鑑定の結果の結果によつてもほぼ妥当である)右の全国平均値及び鑑定人藤芳義男の鑑定結果も斟酌すれば(同鑑定の結果をそのまま措信するかどうかは別として)松原ダムについては過小評価の疑が残らないでもない。しかしながら、仮に過小評価であつたとしても、前示実測値等からみれば、藤芳鑑定人の数値もそのままにわかに採用し難いところがあり、松原ダムの堆砂量についてある程度の誤差があるとしても、それによつて砂防工事の必要性が増えこそすれ、松原ダムを不要ならしめる筋合ではないから、事業認定の効力を左右すべき瑕疵にはならないものと解するのが相当である。
(ハ) 背砂
鑑定人本間仁、同矢野勝正共同鑑定の結果、同藤芳義男鑑定の結果(ただし前示採用しない部分を除く)を総合すると、一般にダムの堆砂は棚状になつて進行し、背水の末端から上流にかけて堆砂(背砂)のため河床が上昇することが予想されている。そして、右共同鑑定の結果によれば、背砂の問題は概ね、貯水池が堆砂で大部分埋るようになつてから顕著になることがらであり、堆砂があまり進行していない間は殆んど表面化していないこと、しかも背砂現象の科学的な究明は未だ充分とはいえないから砂防事業はこの見地からも早期実施の必要性があることが認められ、鑑定人藤芳義男の鑑定の結果によれば、背砂による河床の上昇の有無及び程度は、土砂の粒径、河床匂配等で一般には言えないけれども、松原ダムの背水に河床上昇があれば、杖立温泉街を貫通する杖立川の河床上昇を伴ない、洪水の場合に浸水の危険を生じることも考えられる。
しかしながら河床上昇による氾濫の危険は、堆砂が充分に進行し河床上昇を相当程度もたらすことによつて始めて現実化するわけであるから、問題は先ず、計画堆砂量によつた場合はたして計画年数(百年)内にそのような河床上昇が生じるかどうかにあるところ本件各鑑定によつてもこの点は未だ詳にされていない。(けだし背砂機構の科学的究明は今後に残された問題であり、河床上昇に至る年数、上昇率は諸種の因子に支配され極めて複雑なものと考えられている。)鑑定人藤芳義男の鑑定意見は、堆砂が充分に進行し、河床が三米上昇した時を想定して杖立温泉街への影響から松原ダムの調節効果を減殺しようとするものであるが、その前提となる計画年数と河床上昇との関係は解明されていないから、三米上昇した場合の意見としては傾聴すべきところがあるけれども、未だ直ちにその主張するような調節効果の減少(満水面の一二米引き上げ)をもたらすものと認めるには充分でない。(他にこの点に関する的確な証拠はない。)
なお鑑定人本間仁、同矢野勝正共同鑑定の結果及び同尋問の結果によれば、砂防工事の充実によつて堆砂の進行は相当程度くいとめられることが認められるところ、乙第四九号証、成立に争いない乙第五一号証及び証人(省略)の証言から、建設省としても一応は治水基本計画に対応した筑後川上流の砂防事業計画を有し、なお下流の治水事業の進行とにらみ合わせてさらに砂防事業の充実を図る意思のあることが窺われはするが、背砂の進行は資料、理論の両面において具体的に本件各ダムの将来を適確に予測するにはかなり不備な点があることが認められる。しかしながら、この点の不備を是認したからといつて、他に相当の対策を必要とするようになるのは格別、これによつて本事業計画の必要性が減じるものでないことは勿論であり、(藤芳鑑定人もこれに反する見解を主張しているものではない)これにつき事業の認定をしたからといつて、土地収用法第二〇条三、四号の要件を欠いたものと認めるわけにはいかない。
(5) 発電事業との関係
(イ) 我が国の水資源開発適地には限りがあるから、治水ダムを建設しようとする場合に併せて利水目的にも役立てることができるならば社会経済上も極めて効用の大きい事業と云える。しかしながら、発電の立場からいえばダムは満水状態にある方が効用が大きく、他方洪水調節の観点からは、不時の出水に備えてダムを空にしておくことが理想であり、多目的ダムにおける利水と治水の対立は宿命的なものがある。そこで、昭和三二年特定多目的ダム法が制定され、河川法の特例として建設大臣が河川法第八条第一項の規定により建設するダムで流水を発電、水道又は工業用水道の用(特定用途)に供するものを同法上の多目的ダムとし、特定用途の事業を営む者にはダム使用権(同法第二〇条により物権とみなされる)を与える代わりに、ダム建設費の一部を負担させしかもダムの所有権は国に帰属させることとして特定用途事業者との間にダムの共有関係が発生しないように配慮し、ダムの管理、操作を建設大臣又は都道府県知事に委ね、且つ同法第三〇条で操作の基本原則を定め第三一条で操作規則の制定を命じ、治水と利水の調和を図ると共に、他方ダムの放流により下流に生ずる危害を防止するため関係者に通知し且つ一般に周知させる義務を管理者に課している。(第三二条、同法施行今第一八条)
ところがこのような配慮にもかかわらず現実の問題としてはダムの管理操作の当否が問題とされ新聞等で取り上げられた例もあることは周知の事実であつて、本件多目的ダムの場合もたとえ操作規則を作り規則自体には欠陥がなくとも操作そのものを誤るならば下流域に人工水害を招く惧れのあることは原告等の指摘するとおりであるけれども、斯る危惧は、本件ダム特有の問題ではなく、洪水調節を兼ねる多目的ダム一般の問題でありしかも相当の配慮を払えば防止できることがらであつて特に本件ダムについてのみその管理操作がないがしろにされるというような特殊な事情があるとも窺われないから、これを理由として事業の公益性、土地使用の合理性を否定するのは主張自体失当である。
(ロ) 原告等は起業者が本件両ダムは多目的ダムであり従つて電気事業者との間で建設費の負担(アロケーション)について取り決めをすべきであるのにこれがまとまつていないまま着工したことを指摘し、本事業計画は表面で治水を主目的とするもののように見せかけながら実質は電気事業者である九州電力の利益を図つたものであると主張する。
なるほど成立に争いない甲第三三号証の一ないし三、第三四号証、第四九号証、乙第九号証、証人(省略)の各証言を総合すれば九州電力が昭和三五年二月頃(この時期は本件事業認定の申請後で同認定がなされる少し前に当る)建設大臣に提出した下筌ダムの使用権設定許可申請書は一片の書面にすぎず内容的にその中核となるべき附属書類、図面等は当時添附しようにも存在していなかつたこと、斯る附属文書が完備し形式の整つた申請書として再提出したのは昭和三八年一月末であることは前示認定のとおりであるが、なお前掲各証拠によれば九州電力は松原ダムについても発電事業を営む計画を有しており、松原、下筌ダムによる発電事業は、両ダムの完成により水没する同会社の大山(六、一〇〇キロワット)、黒渕(七、〇〇〇キロワット)、津江(二、六〇〇キロワット)の三発電所(出力合計一五、七〇〇キロワット)の代替の意味もあつて同社の電力供給計画上欠くべからざるものであることが認められ、なお前に認定した如く起業者は建設費負担金の予納を九州電力に要請しているものである。このような事情と前述の我国の現在の電力行政の在り方とを勘案すれば被告が九州電力に本件両ダムの使用権を設定するであろうことはほぼ確定的とみて妨げない。(これらの認定に反する証拠はなく、原告等も九州電力が発電事業に従事することを前提として立論している)。
このように発電事業の主体が九州電力と予定されていることは明白であるにもかかわらず建設大臣は基本計画を未だに作成せず、他方多目的ダムとして本件事業に着工したものであるが、被告は基本計画が作成されていないのは建設費の負担に関する折衝が進んでいないからであるが本件事業は洪水調節事業として緊急を要するものであると主張するけれども、前示の如くダム法の理想とするところに照らせば予め基本計画をもつて建設費の負担等を公示し事業主体相互間の権利義務を明確にしておくことが望ましく、これができないのに多目的ダムとして着工した起業者の処置は適切とはいえない。まして前顕甲第一ないし第一三号証、成立に争いない乙第五ないし第八号証、原告室原知幸尋問の結果及び弁論の全趣旨から窺い得るように、起業者は事業認定の申請と前後して数次にわたり原告等所有地に立ち入り、試掘、試錐、測量を強行しようとして原告等との間で衝突を起しながらその立ち入りを原告等の実力で阻止されるやにわかに事業計画の立案に必要な資料は揃つているとして、久世畑地点で示したような入念な地質調査を経ず収用権発動の手続に及ぶ等してダム建設の強行を示唆するような態度に出たことからみれば原告等が疑惑を抱くのも無理からぬものであることは否定できない。しかしながら原告等の立証は勿論その他の証拠によつても本件事業計画が真実は発電を主眼としたもので治水目的はつけ足りにすぎず専ら電気事業者の利益を重視しこの観点から起業地を決定したとの事実はこれを認めることができない。もつとも先に認定したように大山川五ケ所玖珠川六ケ所の候補地点のうち最後に残つた久世畑及び松原下筌のうちから久世畑が放棄され後二者の組合せに落着いたについては発電効果も考慮されたであろうことは推測できるけれども、これをもつて直ちに原告等が主張するように九州電力をして利得させるために不当不正に本件ダムサイトを選定したものと推認させるには至らず他に原告等の主張にそう積極的な証拠はなく、かえつて起業者は水資源の効果的利用及び建設費の国庫負担の軽減を考慮して選定したことは前示認定のとおりである。
なお原告等は「建設費の負担」が明示されていないことを問題とするけれどもそれがダム法違反となるかどうかは別として土地収用法による事業認定の効力に直接影響する事由とは解せられない。すなわち建設費の負担が明らかでないからといつて当然に法第二〇条三、四号の要件の具備が否定されるわけのものではなく同条二号にいう「能力」のうちに含まれると解される資金面の能力すなわち資力の有無も本件の場合は国(建設大臣)が起業者であるから、その予算(現行法では治水特別会計)に計上された範囲内で法令の根拠に基いて支出を保証されているのであり他に現段階において本件事業が資金的に挫折するであろうことを窺う資料はない。それゆえ電気事業者の建設費の負担が本来なら定められていなければならない事業であるにもかかわらずこれが決定されないまま発電を兼ねる多目的ダムとして建設を強行しようとする点はダム法の理想に照らし不当とも言えるが、この点は先に基本計画の欠缺との関連で説示した如く、それ自体では未だ本件事業認定を無効もしくは違法として取消させるだけの事由に当たるとは解し得ない。
(三) 法律第二〇条第二号の要件の存否
原告等は、起業者には本件事業を遂行するに充分な能力がないとしても施行技術の未熟、気象現象の把握、解析能力の欠陥、行政組織上の難点等を指摘するところ、鑑定人小野寺透、同伊藤剛、同郷原保真、同小出博の各鑑定結果を総合すれば、本件事業計画の実施には高度の土木技術を必要とすることが窺われ、また鑑定人奥田穣の鑑定結果によればダムによる洪水調節を有効適切に行なうためには流域の雨量観測網等の気象観測設備の充実が必要であることが認められるけれども起業者(建設省)に本件事業を遂行するに充分な能力がないとの原告等の主張はこれを認めるに足る証拠がなく、かえつて、前示伊藤剛の鑑定結果によれば施工面は起業者の技術的能力をもつてまかなえることが認められる。なお気象観測網の整備は事業計画の達成後の管理運営の問題であり、その他行政機構、河川管理等の諸点も事業計画の遂行そのものとは異なる別個な問題であつて、右の判断を直接左右する事情ではないのみならず、たとえそこに原告等の指摘するような問題があつたとしても、それによつて本件ダム建設の能力が当然に否定される筋合のものではないから、これらの点に関する原告等の主張は失当である。
二、法第二二条、第二三条の事前手続の欠如
(イ) 建設大臣は事業の認定に関する処分を行なおうとする場合において、「必要があると認めるとき」は、法第二二条の規定により専門的学識経験者の意見を聴取し、或は法第二三条により公聴会を開くべきものとされる。
(ロ) 原告等は本件事業の認定にあたり、右各手続がとられなかつたのは違法であると主張するけれども、斯る意見聴取に及ぶ必要があるか否かの判断は建設大臣たる被告の自由な裁量に委ねられていることは規定の文言及びその事柄自体から明らかなところであり、本件の場合に斯る手続をとらなかつたことが裁量権の濫用であり、正当な裁量の範囲を逸脱したものと解すべき特段の事情は未だ認められない。もつとも本件のように難点の多いと考えられる地質の上に高堰堤ダムを建設するには極めて高度の技術を要するものであることはすでに認定したとおりであるから、事業の認定にあたつても専門的学識、経験に基く判断を必要とする点の多いことは勿論であるが、建設大臣はこの面で専門的学識経験を有する者を補助職員として平素から河川を管理しダム(多目的ダムも含めて)を建設してきたものであり、鑑定人伊藤剛の鑑定によつても起業者の技術的能力を考慮しても本件事業計画は可能なものであることが認められ、他に右結論を左右し原告等の主張を首肯させるに足る資料はない。
(ハ) 原告等は本件のように起業者と事業の認定を行なう行政庁とが同一である場合は必ず法第二二条、第二三条の手続を践まなければならないと主張するけれども第二二条は事業の認定に関する処分を行なうに必要な専門的知識、経験を補充するための手続であるから、起業者と行政庁とが同一人であるかどうかによつてその要否が左右される理由はない。これに反し、法第二三条は当該事業の認定につき一般の意見を徴する規定であるから、起業者と行政庁とが同じ建設大臣であるときは、判断の適正を保つ意味でそうでない場合よりも公聴会を開くのを妥当する場合が多いであろうけれども、事業の認定に利害関係を有するものはこれとは別に法第二五条によつて書面でその意見を開陳する権利を有するものであるから、そのうえさらに口頭で意見を開陳する機会を必要とするかどうかは行政庁の裁量に委ねられているものと解すべくたとえ起業者と認定(処分)庁とが同一であるときでも、それが裁量処分に属することに変わりないものと解さざるを得ないから、公聴会を開催するのが穏当であるとは言い得ても、これを開かなかつた故に直ちに本件事業認定を違法、無効ならしめるものとは解されず結局原告等の主張は失当である。
第三 結論
一、以上各項において説示してきたところを総括すると、本件事業認定申請書は、主としてダム法第四条の要求する基本計画がその大綱に関する成案すら得ていなかつたことが影響して事業計画に関する補足的資料(参考書類)が不十分であり従つて参考書類を含めた意味での添附書類はとうてい完備したものとは認め難く、むしろダム法第四条に限つて言えば基本計画が存在しないのにダムの建設に着手することはよしんば後日になつてダム法第二七条等の便法を用いる途が残されているとしても他の多目的ダムに比して特に本件多目的ダムの建設のみが緊急を要するものとも認められない(洪水調節を強調すればそれは概ねすべての洪水調節ダム、多目的ダムに共通する一般的な理由であつて、他に比して特に緊急性があると言えるためには洪水流量とその頻度が当該河川の疎通能力をどのように上回るかを他と比較検討しなければ結論を出せない事柄である)とすれば定められた正常な手続を回避したものとして不当の譏を免れないと言つても言い過ぎではない。
二、しかしながら土地収用法に基く事業認定の効力が争われている本件においては被告の認定した本件事業が、同法第二〇条各号の要件を具備するものであるか否かがその主たる争点となるところ(もつとも同条一号の要件を具備することは争いがない)。同条四号の判断は本来被告の自由裁量に属する事柄であり、また二、三号の判断も究極においては覇束裁量に属するとしても事柄の性質上裁量の余地を全く排除することはできないものであると考えられるところ、斯る見地に立つて被告の立証その他本件全証拠を総合すれば本件事業について一応法第二〇条各号の要件を具備していることが認められるものである。もつともダム法の基本計画が未定であることからくる本件事業計画中の発電効果に関する部分の不確定さ、建設費負担の曖昧さは本件ダムの完成と共に水没すべき土地の所有者である原告等にとつては軽々に看過し難いところであろうことは推察するに難くなく、剰え起業者が本件事業計画を立案するため下筌、松原地点を調査中に原告等を含む水没予定地の住民の強硬な阻止、抵抗に遭うや本件土地収用手続に踏切つたことも相まつて久世畑地点の調査に投じた費用、労力の大きさと対比して原告等に事業の準備が不十分であるのに収用権の発動に踏み切つたかの感を与えてしまつたことは否定できないところであり、(もつとも原告等が起業者の調査を実力で阻止しながら調査不十分であると攻撃するのは顧みて他を言うに類し、公正な態度とは言えないけれども)、それがつまるところ基本計画の欠缺に由来するものであるとすれば原告等に徒らな疑惑を抱かしめた点でも起業者の所為に遺憾な点がなかつたとは言えないが、前示のような基本計画の未定から来る本件事業計画中の発電効果の不確定さ、事業費のうち発電事業者の負担すべき金額もしくは割合が不明であること等も未だもつて法第二〇条各号の要件の具備することを否定させるに至るものではなく結局本件事業の認定を当然に無効としもしくは違法として取消さしめる程の瑕疵になるとは解されないものである。
三、また原告等が攻撃する本件事業計画の基礎資料となつた地質上の諸問題、計画高水流量のとり方、これらを総合して決定されるダムサイトの選定その他本件事業計画の技術的欠陥、不合理性についても、その多くは技術的、合目的々見地から起業者の裁量に親しむ余地が多分に含まれているものであり殊にダムサイトの選定の如きは事業の効果に疑わしいところが存在しない限り何処に決定するかは起業者の自由な裁量に委ねられている事柄であつて、経済上の得失(費用、水資源の利用効果)の多少は当不当の問題とはなつても事業認定の適法性を直接左右するものではないところ、本件事業計画について見るもこれが事業の目的(所期の効果)を達成することが難しいものである(換言すれば不合理な計画である)とは認められないし、またダムサイトの選定についても起業者の決定がその裁量の限界を逸脱し裁量権の濫用となつたり、或は、所期の効果を達成することの難しいものであるとも考えられない。それゆえ、原告等のこれらの点に関する主張はいずれも採用するに由なく、このほか事業認定に至る手続について原告等の主張するところは未だ本件事業の認定を当然に無効とし若しくは違法として取消さしめるだけの事由とするに足りないものである。
四、そうすると起業者が原告等の反対運動に遭つて基本計画の内容となるべき事項のうち極めて重要な建設費の負担等の事項について成案を得ないまま急いで収用手続に踏み切つたことはダム法第四条の趣旨に徴する限り不当であり土地収用法上も事業の効果、建設費の負担者、負担額等の点で事業計画というには未だ足りないところがありこれを法律的観点を離れて素朴に見れば被収用者と予定される原告等に著しい不信を生ぜしめている点で極めて穏当を欠いた所為といえるけれども本件訴訟に顕出された資料によるかぎり未だもつて被告の土地収用法に基く本件事業の認定を無効もしくは違法ならしめるものとは云えない。
五、そして本件事業の認定に基き昭和三五年五月二日土地細目の公告があつたことは当事者間に争いがないところであるから本件事業の認定はその告示があつた同年四月一九日(この事実も争いがない)から起算して三年を経過した後においても依然として有効なものであることは法第二九条により明らかなところである。
六、よつて原告末松豊の訴は第一説示の理由により不適法として却下し、その余の原告等の主位的及び予備的各請求はいずれも理由がないものとして棄却することとし民事訴訟法第八九条、第九三条を適用し主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第三部
裁判長裁判官 石 田 哲 一
裁判官 滝 田 薫
裁判官 山 本 和 敏
目録、災害額一覧表(省略)